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#083 『拗ねる』娘に贈る99の言葉

私は30代のほとんどの時間を拗ねてすごしていた。
いい大人になって10年ちかくも拗ねて過ごしているなんて、今思い返すと恥ずかしい。

女性で生まれたことに拗ねていたし、
母親でいることに拗ねていた。
私の人生なんてこんなもんだと諦めて拗ねていた。

誰も私に課せたわけではないのに、女性に生まれた生きづらさの部分だけをみて損した気分になったり、『自分を犠牲にして子どものために生きる母親』を求められていると勝手に解釈して、世間が求める母親像に逆らいたい気持ちになった。

誰も何も強制したわけでもないのに、自分の人生なんてこの程度だと勝手に失望して、モノクロの世界に浸っていた。

全てが私の捉え方次第だったと気付いたのは40歳をすぎてから。
10年以上も自分の人生を生きている実感もないまま生きていた。

モノクロの30代だったけど、私がモノクロの世界で拗ねて生きているなんて誰も思わなかっただろう。
30代に、個人事業主になったり、サロン経営をやったり、講師をしたり、コンサルになったりと、他の人から見れば華やかな彩りある人生だと見てくれた人もいるかもしれない。

でも、私は30代はモノクロの時代だったといっている。

何が違うのか?
それは、私がどこを見ていたのか?だけの違いなんだと思う。

自分は色のない世界と思っていても、実際は彩りある人生をおくっていたのだと40代に入って気付いた時、ちゃんと自分の彩りを見ようと思えるようになった。

私は10年も拗ねて生きていたけれど、それでも生きている限り彩りある日々を過ごせていたのだ。ただ、自分がそこを見なかっただけだった。

30代の私のように、拗ねて生きている人を見かけることがある。
「捉えかたひとつだよ!あなたの人生は彩りに溢れてるよ!」って言ってあげたくなる時がある。

でも、余計なお世話だな。
30代の私には、どんな言葉も信じられなかったとおもう。
人は聞く耳がない時に、何を言われても響かないと思っている。

だから、見守ることにした。
いつか私のように顔をあげて人生を送りたくなった時、彩りに目を向けたくなった時に私に会いたくなっちゃうような、そんな自分になって待つことにしよう。

拗ねた人生を経験したから、彩りある世界の素晴らしさに気付けた。
拗ねる時間も悪くない。

そして、拗ねて生きていても、自分は自分のためにちゃんと経験を積み重ねてくれている。その時は実感がなくても、必ず未来の自分に役立っている。

拗ねていた自分も愛してあげたい。

2023.12.31
ばたち

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