偉そうなこと言ってると「お前は何様なんだよ!」と私が私を責める
歳を重ねると、ついつい経験を通じて偉そうなことを言ってしまう。
偉そうに言いたいわけではないが、結果、偉そうに聞こえる。
自分が経験した真実を話しているのだから偉そうに言ってもいいのかもしれないが、鼻につくことが多いと思っている。
私の場合、お喋りが大好きという特性もあって、何回も話しているからなのかキレイにまとめてから話をしてしまう傾向がある。
人からは、「分かりやすい」とか「心に響く」とか称賛してもらえることもあるのだが、そこそこの人数に「グーのねが出ない」とか「心臓を一突きされるくらい痛い」とも言われることも多いのが現状だ。
そんな感じだからお喋りが上手になればなるほど、離れていく人も増えた。
最近は、私の印象を聞くと、「見透かされてる気になる」とか「ジャッジされているようで怖い」などの話もチラホラ。
知らず知らずのうちに誰かを傷つけているのかもしれないな、私。
人生を悟ったような話や、叱咤激励する時の私は、まさに偉そうだなと思う。
偉いのではない。偉そうなのだ。
相手より優位に立った時にしか偉そうな言葉は出ない。
だから、私は私自身を偉そうなヤツだと思って冷めた目で見てしまう。
偉い人間になる覚悟もないのに、偉そうなことを言ってしまう自分をいつも責めている。
お前何様なんだよ!
私、何様なんでしょうね?
そんな偉そうなこと言えるほど自分ができた人間でもないのに、なんでそんな偉そうなこと言えてるんでしょうね。
こうやって自分で自分を責めてしまう。
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ここまでが私がいつも偉そうに何かを言ってしまった時に頭に巡ることです。
結局は偉そうなことをまた言います。
おそらくこの先も言います。
そして、この先も、自分で自分を責めるでしょう。
偉そうに誰かに何かを言うことには責任が伴うと思う。
誰かを傷つけるかもしれないし、人生を狂わせるかもしれない。
生きている限り誰かに何かしらの影響を与えていると自覚することは大事で、特に、偉そうに誰かに何かを言う時には、それなりの覚悟が必要で。
『誰かに何かを言う』ことを選択した自分の覚悟を確かめるために、あえて自分を責めているのだと思う。
私は私に甘いと思っていたけど、私は私に厳しい面もあるみたいだ。
私の心の中のこじれた部分のお話しでした。
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