#036 『気遣い』 娘に贈る99の言葉
気遣いはいつも難問だ。
相手をいっぱい観察しても、あれこれ試行錯誤してもピッタリの気遣いをできる確率は3割前後。
まだまだ修行の日々が続いている。
気遣いは、時におせっかいへと変貌を遂げる。
おせっかいに変身したらタチが悪い。
相手が喜ぶどころかウザがられる。
こちらがわざわざ気遣いしているのに、ウザがられるって、どっちの得もないじゃん!
…ってなことが昔は多かった。
だから、私は『わざわざしてやってる』と思ってしまうような気遣いはしなくなった。
『気遣いさせてもらっている』と自分がやりたい気遣いしかやらなくなった。
気遣いはこちらの事情。相手のことをどれだけ思っていても、相手が気遣いと受け取らなければそれは、気遣いではなく、余計な事をただしているだけのことなのだ。
気遣いを受けとる方を考えると分かりやすい。
「お気持ちは嬉しいんですけどね…」って思ったことは誰しもあるだろう。
善意からの気遣いでさえ、心の中で「ありがた迷惑だなぁ〜」って思ってしまった経験はあるんじゃないかな。
良かれの気持ちも善意も、全てが相手に届くわけじゃない。
悩んでいる人を見かけて、声をかけたほうがいいのか?そってしておいてあげたほうがいいのか?なんて、その人に聞いてみないと分からない。
聞いても本音を言ってくれる保証もなければ、同じ人でも状況によってしてほしいことは変わったりする。
相手の心を思いやることは大切だけど、その気遣いが全て相手のためになるとは限らないことを忘れてはならない。
だから、私は常に気遣いは『させてもらってる精神』でやらせてもらう。
ちょっとでも『やってやってる怪獣』が顔を出したら気遣いはやめておく。
気遣いに見返りを求めてはいけないものだと思う。
でも、安心して!
相手に気遣いが届いた時はちゃんと感謝してもらえる。
こちら側の気持ちは、相手に伝わればちゃんと届くからね。
気遣いは何が正解かわからないぶん難問だし、気遣いが過ぎるとかえって相手に負担をかける。
なんのための気遣いなのか?を問うた上で、誠心誠意の気遣いをしたいものだ。
2023.11.14
ばたち
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