#087 『あがく』 娘に贈る99の言葉
活路を見いだすために懸命になって努力することを『あがく』という。
手足を振り動かしてジタバタすることもあがくことだと書いてあった。
最近、私は世の中の人全員が、生きている限り何かしらにあがいているのではないかと思うようになった。
時に、世の中の期待に応えるためにあがき、時に、自分らしく生きるためにあがく。
あがく内容は人それぞれだが、何かしらにあがいている。
そう思うと、世の中の人が全員愛しくなった。
人生をあがくという点では皆が平等で、優劣はない。
生きるためにあがいているのだと思うと、ジタバタするのも素敵なことなんだと思った。
先日100歳の祖父に会いに行った時、祖父が言った。
「毎日、早くお迎えに来てくれとお願いしとるのに、なかなかお迎えが来んのんよ。」
「じゃけどの。今みたいにみんなに会えたら、お迎え来んといてくれぇと願ってしまうんよ。」
100歳のおじいちゃんもあがいていた。
人生100年生きていたって、自分の人生にあがいている。
命尽きる時まで自分の人生を貫こうとしている姿を私に見せてくれた。
悟って物怖じせず生きている祖父よりも、自分の思いを素直に孫に話すことのできる祖父の姿に心打たれた。
ちょっと前まで私は、
「最後の時が来たら、綺麗に終わりたい。人様に迷惑かけずにカッコ良く逝きたい。」
と思っていたのだけれど、それは違うんだなと気づかせてもらった。
私は、命尽きる時まで、自分の人生を生きることにあがいていたい。
そして、道半ばにダサいまま人生を終えることこそが、私が後世に残せる唯一のものかもしれないと思った。
素敵な終わりでもないし、志半ばになるかもしれないけれど、最後まで自分らしく前を向いてジタバタする人生。
なんてダサスバラシイのだろう!
2024はダサアガ(ダサくあがく)を大切にしようと思った。
本当はダサいよりカッコいいほうが嬉しいけれど、多分、それは周りの人が決めることだと思う。
だから、私はスマートに生きようとはしない。ダサく生きてると感じるくらいジタバタあがいて生きていきたい。
いつか、私のダサくてあがいている生きかたを、、カッコイイと言ってくれる人が一人でも現れたら、私の人生も捨てたもんじゃないなって心から思えるかもしれないね。
ダサくてあがく姿が未来の希望になれば言うことなしだね。
2024.1.4
ばたち
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