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#060『待つ』 娘に贈る99の言葉

人のことをどれくらい待てる?
私は待つと決めたら、とことん待ってしまう。

待ち合わせを3時間くらい待つこともできる。
でも、それは『待つと決めた』時だけだ。

待ちたくないと思ったら、1分でも待たないかもしれない。

待つ価値がないと判断した途端に、その時間が無駄に思えてしまう。

無駄な時間がとにかく嫌な私は、待つことが自体が嫌なんじゃなくて、待つことを無駄な時間にしてることが嫌なわけで、だから、待つと決めたなら意味ある時間にしようと心がけている。

待つ時間って、内省にぴったりのシチュエーションだと思っている。

待つこと以外することがないから、待ってる間は脳の余白が空いていることが多い。

もちろん、待ちながら他のこともできるだろうけれど、私の場合、特に人を待つ時なんかは、他のことをしないようにしている。

ただ何もせずに待つことにしている。

ただ待っている時は来る人のことをあれこれ考える。

予定時刻を過ぎてるときは、

何か事故にあったのではないか?
忘れられたのではないか?
会いたくなかったのではないか?
何か事情が出来たのかもしれない。
そもそも私が日時を間違えた?
私が待ち合わせ場所を正しく伝えてなかった?

とか、心配や不安が心の中で駆け巡る。

そのうち、待ってる自分について考えはじめる。

なんで私は待ってるだろう?
待つことに意味があるのだろうか?
私は待つことで、自分の気持ちを試されているのかもしれない。

みたいなことをぐるぐると考えはじめる。


待つ間の感情は騒がしい。
信じたり疑ったり、不安になって落ち込んでみたり。

なんの理由があるのかも分からないうちから、あれこれ想像して考えを巡らせる。

おそらく、待つって、心の修行なんだろうな。
自分の感情と向き合う修行に思えてくる。

自分の思いを深く知っていくのに、人をひたすら待つ時間が、最高の学びになるんだと思った。

待つことを通じて自分を見直せるのだとしたら、誰かを待つことも無駄じゃないんだろうな。

待つという状況は、思いがけずおきること。
次の待つタイムには、自分とガッツリ向き合ってみようと思ってるよ。


2023.12.8
ばたち



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https://stand.fm/episodes/6573167732bb24564b51fb0c

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