「美しく生きる」まえがき
去年の末に実家を建て直し、それまでの結婚してからの親とは別の20年間の借家住まいに別れを告げ、3世代6人(両親+我々夫婦+子供二人)の生活が始まった。
新しい場所、新しいメンバー構成で生活を始めれば、少なからずペースというものが変わる。
ペースが変わるというのは現時点で良い点、悪い点、改善を要する点それぞれあるのだが、とりあえず私的にはやること、気にすることが増えたのだ。
役割は増えていないが、事実上の開店休業中だった役割(例えば「息子」とか)を再開し始めることになる。
また、今までは妻と子供の意見だけ聞けば家庭運営ができたのだが、今度はそこに二人加わる。尊重する意見が増えるということはアイデア、選択肢が増えることにも繋がるが、アイデアや選択肢は少ない方が選ぶのに手間がかからないという一面もある。
さあ、そこで困ったことが…考えることが一気に増えてしまったらとにかく忘れっぽくなってしまったのだ。
そこに加えて、行き当たりばったり、出たとこ勝負の波が真正面からひっきりなしに押し寄せ、全然やりたいことができなくなってきてしまった。
そんな中、以前読んだロックバンド・人間椅子のギター&ボーカルの和嶋慎治氏の自伝的著書『屈折くん』(シンコーミュージック)に出てきた「せめて、せめて、美しく生きたい」という一節。
和嶋氏の意図する「美しく生きる」とは違うのかもしれないけれど、私がその文中から感じ取った「美しく生きる」とは…
「半ばは自分の幸せを 半ばは他人の幸せを」…これは少林寺拳法の開祖・宗道臣師の言葉。
この言葉は「自分」と「他人」の列びの順番、優先度が一つのポイント。
「自分が幸せでないのに人を幸せにできるわけがない」と師の曰く。
イライラした自分は人に対しても感情的に接してしまう。感情的に接するということは相手の立場を慮っているはずがない。
「自分らしさ」を尊重するということは他人の「自分らしさ」も尊重すること。
「よく調えし己こそまこと得難き寄るべなり」
というわけで「美しく生きる」というマガジンで、私が近頃感じた「美しく生きる」ためにはこれかな?という思いつき、実体験を備忘録的に載っけていこうと思いついたわけで。
【参考文献】
和嶋慎治『屈折くん』シンコーミュージック