深作ヘスス×うすき秀剛 「福島第一原発視察報告会」の報告note (前編)
本noteでは2022年9月28日19時から開催されたオンライン報告会の内容の文字起こしをまとめて記事化しています。本記事では要点のみをまとめていますので、当日の様子は別途配信しているYouTubeも是非ご覧ください。
ヘスス:みなさんこんばんは。
うすき:こんばんは。
ヘスス:先日(2022年)9月6日から8日までの3日間、福島第一原発及び周辺自治体の視察をしてきました。震災から11年経って現在の福島や原発についての報道が少なくなっている中で、今回、私たちが見てきたものやその感想を皆様に共有するだけでも意味があるのではないかと考え、この報告会を主催させていただきました。
うすき:今回福島の視察を通して、自然災害、原子力発電所の事故、様々な災害・被害にあった方々、その現場やお声を聞いてきました。そういった方々の声をみなさんにお伝えしたいと思っています。
それではスライドをご覧ください。
うすき:今回私たちは福島県双葉郡の浪江町、大熊町を中心に視察に伺いました。 双葉町と大熊町は福島第一原発が立地している原発立地自治体で、それぞれ帰還困難区域の指定があり、特に双葉町に関しては本年8月30日まで帰還困難区域ということで立ち入りができなかったのですが、8月30日に一部制限が解除され、私たちの訪問前日の9月5日には町役場の新庁舎が始動し、新しい町役場だけでなく被災した旧町役場を訪問し、実際に現町長のお話を聞く機会をいただきました。
ヘスス:今回は経産省主催の視察事業で福島に伺ったのですが、松下政経塾の塾生さん10名と別に10名の枠があるとのことで経産省の方からご連絡いただき、臼木さんを筆頭に超党派のグループになるよう、私の友人にお声がけをしました。
うすき:今回のメンバーで毎晩開催された(約2時間の)勉強会では、毎回参加者から質問が多数あがり、都度経産省の担当官にご回答いただきました。様々な意見や質問を聞き、「こういう考え方もあるんだな」とか、年齢層によって視点が違うことなども気付かされました。震災の時小中学生だった参加者もいる中で活発な勉強会が日々開催されました。
ヘスス:今回、視察のメンバーに声かけする上で、身内で固めるのではなくて、原発に対しての考えが違う、他の政党の方々や立場が全く違う方々も交えて福島の未来を考えたいと思い、様々な立場の方にお声かけさせていただきました。
9月6日 中間貯蔵施設見学(大熊町・双葉町)
うすき:初日の9月6日には汚染土の中間貯蔵施設を見学しました。
原発事故後に、除染のため表層の放射性物質が付着した土を取り除き、その取り除いた汚染土を大熊町と双葉町にまたがる16平方キロメートルの土地に一時的に貯蔵をしています。
ヘスス:一時的に貯蔵をしているので、この施設のことを「中間」貯蔵施設と呼んでいるのですが、2045年3月までに県外に最終処分をすることになっていて、政治的に大きな課題ともなっています。
うすき:汚染土は5メートル積み上げられると、雨水などが汚染土に触れないよう、防水シートを貼り、さらに5メートル積み上げて防水シートを張るという作業を繰り返し、15メートルまで積み上げられています。
(上の写真)一番左の芝生が生えている部分はすでに15メートル積まれており、真ん中が5メートル、一番右の土が見えている部分がこれから積まれる場所になります。
ヘスス:1400万個あるこの土嚢バッグを、どこに最終処分をするのか、何年かけて移動させるのかなど、多くの課題が残っています。
今回見学して、途方もない数の汚染土を直接目の当たりにし、いつ政治が決断できるのか、また最終処分として受け入れる自治体をどのように決め、住民の理解をどのように得ていくのか、その課題の大きさについて改めて考えさせられました。
うすき:正式な文書としては、「中間貯蔵開始後30年以内(2045年まで)に福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を講ずる」と曖昧な表現になっていて、放射線濃度低いものに関しては再利用して農業に使っていくことなども想定されているみたいです。
ヘスス:8,000ベクレル以上のものを高濃度汚染土として、それ以下のものは最終処分の対象せず建築や農業など他の形で活用できないかということも考えられているみたいですね。8000ベクレル以上の汚染土は全体の1/4程度なので、低濃度汚染土を再利用できるようになると県外に最終処分すべき量が3/4減ることになりますが、再利用するとしても、その決断を誰が・いつするのかということも今後の課題になりますね。
うすき:中間貯蔵施設の詳細は「中間貯蔵工事情報センター」のHPでもご覧いただけますし、私たちが現地でもらった冊子もウェブ(こちら)で見ることができるのでぜひご覧になってみてください。
双葉町内視察、町長との意見交換会
ヘスス:中間貯蔵施設の見学後、8月30日に帰還困難区域の指定解除がされた双葉町を訪問し、町内の視察をするとともに、現双葉町長と意見交換させていただきました。双葉町内の建物の多くは解体が進んでいて、震災直後は誰もいない建物だけの町並みだったのですが、今は更地となっている地域が増えていました。
双葉町をアートで再生させたいと始まった、プロジェクト(FUTABA Art District)の作品も見学させていただきました。
うすき:双葉町では、私たちが訪問する前日に業務を開始した町役場の新庁舎も訪問しました。まだまだ人が戻ってきていない状況ではありますが、多くの職員さんが復興に向けて一生懸命働かれていました。
震災当時の状況のまま残されている旧庁舎にも伊澤町長のご案内で入らせていただきました。
ヘスス:この旧庁舎は現在の中間貯蔵施設、帰還困難区域の境に位置しています。震災遺構のような形で旧庁舎が残されていて、今回は特別に見学させていただきましたが、伊澤町長からお聞きした話や、わたしたちの質問に対するお答えなどが大変印象的でした。
うすき:そうですね。本当に率直に語っていただきましたね。
中でも私が最も共感したのは、どうすれば人が戻ってくるかというところで、やはり働く場所がないと人は戻ってこない、そこで生計を立てて暮らせる環境を作りたいという町長の想いですね。
双葉町では岐阜県のタオル製造会社を誘致したりして、産業復興に向けて様々な取り組みをされていますが、もともと農業が盛んな地域だったので町長としては「もう大丈夫なんだ」という象徴とするためにも、農業が再興する町を作りたいと話されていたことも印象的でしたね。
ヘスス:私が印象に残っているのは、「政治家としての決断で一番、心に残っている瞬間は何ですか」という問いに対し、「中間貯蔵施設をこの双葉町の中に置く決断をした瞬間」と仰っていたのが印象的でした。汚染土を自分の町に置くという決断をし、それを町民のみなさんに報告をするという一連の中で全身全霊をかけたという町長の言葉の重みを感じました。
うすき:あともう一つ「安全と安心は違うということを痛感した」と町長がおっしゃっていた事が心に残っています。
町長が国に要請したことで、放射線量の測定器が、町内のいたるところに設置されているのですが、数値として科学的には安全だけど、その数値を安心と感じるかどうか、その捉え方は千差万別で、数値が低くてもそれが必ずしも全ての人の「安心」には繋がらないとおっしゃっていました。
私たち政治家もよく「安心安全な社会の実現に向けて」など安全と安心をセットにして使う事が多いですが、ここにはだいぶ距離があるっていうことを仰っていたのも印象的でしたよね。
視察2日目
ヘスス:視察2日目は浪江町内を視察し、その後双葉町の伝承館を訪問、そして港近くにありながら、一人の怪我人も出す事なく避難した震災遺構として遺されている請戸(うけど)小学校を見学しました。
うすき:浪江では復興に向けて活躍されている高橋大就さんのお話を聞かせいていただきました。
高橋さんは「Ça va(サヴァ)?缶」の立役者でもあり、被災した岩手県の鯖を使った商品をプロデュースするなど、現在は浪江町に定住しながら活動されています。「その土地がもともと持ってるポテンシャルにしっかりと価値をつけて復興にも繋げて広げていく」という思いで活動されていて、商品開発だけではなく、アートを通じた町の復興などにも携わっています。
ヘスス:高橋さんのお話を聞いて印象的だったのは、「福島産品の風評をどのように取り除くかということではなく、良い商品を作れば必ず売れる」とお話になっていたことです。Ça va缶も最初から売値を360円と決め、絶対に安売りせずそれに見合った商品をプロデュースしたという話を聞き、政治とのマインドセットの違いに驚くとともに、このようなアプローチの重要性を感じました。
うすき:もう一人ご講演いただいたのが、「極太マン」こと前司 昭博さん。この写真しかなくて申し訳ない。
ヘスス: 笑 とても印象的でしたね。
うすき:前司さんは浪江出身で、震災後一度県外に避難され、今は浪江復興の最前線で取り組みをされている実業家です。
震災前、浪江町には1万6,000人の人口が住んでいましたが、現在は1,800人。
その1800人のうち、もともと浪江出身者が900人、新規移住者が900人。ちょうど半分半分なんです。
この数字をお聞きして、前司さんと高橋さんの両名対してこれからの浪江の復興について、政府は帰還者を優先させ、もともと住まわれてた方が戻ってくるための施策を中心としてきたが、最近では移住者誘致という方針も打ち出している。移住者と住人の帰還とどちらを優先すべきかと聞いた時、意外だったのは、浪江出身の前司さんが「昔から住んでた人にこだわるのではなく、楽しくここで暮らしていける人が増えればいい」と話すのに対し、移住してきた高橋さんは「地元のことは地元で、これまでやってきた伝統などもあるので、そういう方々が中心となって携わってほしい」と真逆の意見を仰っていたのが意外でしたね。
ヘスス:この2人のお話を聞いたときに、政治または行政が言っている復興の道筋と、復興のために現場で活動してる人たちの見ている世界の違いに驚かされました。
政治の立場で話を聞いたり現場に行くと「いかに政治的な課題があるか、いかに人が戻ってきていないか」暗い未来をずっと投げかけ続けられた気がしたのですが、高橋さんや前司さんの考え方は全く違い、「私たちが責任を持ってやってくんだ、この街にはこんなにいいものがあるんだ」という明るい希望を見せられたように感じました。ただ政治が数字だけで目標を定めるのではなく、今そこにいる人達の営みや、その人たちの声を反映できているのかという視点がとても重要であると感じました。現場と政治の感覚があまりにも乖離していて驚かされました。
うすき:高橋さんは浪江を「ワクワク度日本一」にすると仰っていて、前司さんも、「住む人たちが幸せで、明るく楽しく暮らしていければそれがいい」と言っていて、彼らがみている浪江の未来は政治が見るそれとは大きく違っている印象でしたね。
伝承館見学
ヘスス:この伝承館は一般公開されており、制限区域内でもないので、ぜひ東北に行かれる際には是非皆様にもお立ち寄りをいただき、当時何が起きたのか、もちろん震災だけではなく原発事故についてもぜひみていただきたいと思います。
うすき:実際に見ていただければ、いろんなことを学び・考えることができる場所だと思いますし、当時の本当に厳しい状況を肌で感じる事ができると思います。
震災遺構:「浪江町立請戸小学校」視察
ヘスス:視察2日目の最後は震災遺構として震災当時の被災状況がそのまま保存されている「請戸(うけど)小学校」を訪問しました。
うすき:学校に入ると大きな配電盤が津波の勢いでなぎ倒されていたり、天井の配線などが剥き出しになっていて、津波の勢いの強さを感じました。また、様々なものが錆び付いてきており、時の経過を視覚的にも再認識しました。
ヘスス:請戸小学校の例を学び、日頃の防災訓練の重要性を強く感じました。
請戸小学校は海のすぐそばなので、日頃から津波を想定した訓練を行なっていて、地震があったら大平山に逃げるというのを決めていました。日頃から様々なワーストケースを想定して準備することがいかに重要か改めて考えさせられました。
うすき:私たちが防災の話をするとき、防波堤等、ハード面の話をする事が多いように思いますが、請戸小学校のように防災について考え、各々が準備するソフト面も本当に重要ですよね。
ヘスス:私たちは自然災害と向き合わなければならない国に住んでいるということを改めて認識し、公助だけではなく、自助・共助についても考える必要がありますよね。大きな災害が起きても公助にたどり着くには数日かかるので、3日間程度は自力で生き延びるための準備などを進めておくことも大事ですね。
うすき:そうですね、北海道の胆振東部地震の際も停電して、真冬でなかったから大丈夫でしたが、真冬だったらと考えると本当に怖いです。やっぱりいろんなことを想定して準備をしておく事が大事ですね。
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後編では今回の視察3日目に訪れた「福島第一原発」視察報告部分の文字起こしをお届けします。