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Q23. プロセスを楽しむには、具体的にどうしたらいい?

主任「プロセスを楽しむには、例えば具体的にどうやったら楽しめるんですかね」
 
所長「具体的に?それは人それぞれによると思うんだよね。『自分で決めたパターンをその通りやりたい』っていう、ルーティンの鬼!みたいな人もいたりするし、所長みたいに『もうアドリブで直感の赴くままやりたい』って人もいます。」
 
主任「『ルート通りに行きたいんです』っていう、『プラン通りにやりたい!やることが楽しい!』っていう人と、そうじゃない人と、いますよね!」
 
所長「なのにその人のことも知らないのに『決めてルーティン通りした方がいいです』ってされたら、『それができない自分はダメ』って思う。ご機嫌さんじゃないよね。『こっちのルートもあるし、こっちのルートもあるし、さらに違うルートがあるかもしれないですけど、試してみてどうですか?』とか、確信があって『これです!』というのがあったらそれをやってもいいし、それに飽きたら別のやり方とか、今までにない選択をやるっていう楽しみはあっていいんじゃないですか。」
 
主任「確かにやり方いろいろ試してみるのは大事ですね。どうやったらウキウキするのか。」
 
所長「そうそう。気づいた結果ビシッと決めて、決めたことをもう気持ちいいぐらいにやりたいって人もいるんですよね。逆にそれが嫌で直感で決めていきたい人もいるじゃないですか。効率性とか生産性とかが嫌で自分の気持ち・感性を信じてやりたい人もいるし、合理的に生産性高くやりたいって人もいるわけじゃないですか。それはもう全然プロセスの楽しみ方が違うので、それぞれで楽しんで、どういう結果が出るかはそれぞれで楽しんだらいいんじゃないっていう、良い悪いで捉えないってことですね。プロセスで言うとね。さっきの『プロセスを楽しむとはどういうことですか?』っていうのは、良い悪いで『このやり方はいい』『これのやり方は悪い』っていうふうに捉えなくて『何でもありなんだよ』、『自分で探そう』、『自分で探す宝探しって面白くない?』みたいな。全部答えを出されて『宝物ここです、攻略法これでやるんです』っていうゲームが楽しい?それが楽しい人もいるよ。『決めて決めて決めて正攻法でやるのが楽しい』という人、あなたはどちら?『色々試してみたい』、『いろいろ自分で試行錯誤してみたい』、だったらそれをやってください。その時は、結果云々は置いておいて、“プロセス”に、“楽しむこと”に集中したらどうですか。その結果がどう出るかは自分で後で検証してみようという感じ。自分で気づいて検証してみる以外はどうだったかってわかんないんでね。第三者が見ていても。」
 
主任「はい」
 
所長「そうですね。どうプロセス楽しむかは、人それぞれって感じだよね。」
 
主任「試してみて。試していけばそこでまた経験値積んでいるから結果的にゴールに近づいていきますもんね。」
 
所長「だからさ、パートナーの話にこだわっていますけど、『すぐできないのを楽しみたい人』もいると思うんですよ。きっと。なかなかできなくて苦しいしんどいんだけど、そのプロセスを楽しみたいからその現実作っている人もいると思うんだよね。でも、もうなんか幼なじみでね、その人同士初めて付き合って結婚しているっていう人もいるじゃないですか 。その人たちと我々の差って何?みたいな。どっちが良いか悪いかみたいなのはなくないですか?だって『1人目で付き合って幸せだったらいいけど、他の人の方がもっと幸せだったかもしれないよ』って思う人がいてもいい。『このなんかもうウヨウヨそんなの面倒くさいからもう運命の人とばーんって出会ってばーんって結婚して幸せ!』っていう人もいてもいいんですけども。今自分が目の前で起きている現実を見た時に、いろいろ紆余曲折して色々試したい、いろいろ苦労したいっていう現実が起きているんだとしたら、それはこのプロセスを経験したいから起きているんだと思います。
『なかなか結果が出るまで楽しみたい派』、『デザートは後で食べます派』、『デザート先に食べたい派』とかあるじゃないですか。個性じゃないですか。だから自分の人生振り返った時にヒントがあると思います。プロセスを楽しむ材料が自分の人生を振り返った時に絶対あるので。他人の人生を見て『こうだ』っていうよりは、自分の人生を振り返った時にプロセスをどう楽しんでいる、どう関わってきたかを自分なりに分析して試してみるのが間違いないと思う。30~40年生きていたら結構なデータベースになっていますから笑。自分の人生。ヒントなり答えはあるはずなんだけど。外で探すのもいいけどね。自分の中にもうすでに財産があるんじゃないですかね。」
 
主任「そうですね。最近このイージーモードに切り替えてから、過去に目を向けることが前よりちょっと増えたような気がします。『あれはこういうことか!』みたいなのもちょこちょこ出てきたりするので。それこそずっと結果志向だったから、『あんまり過去を振り返りたくない』みたいな自分にも最近気がついて、過去を見すぎると、『過去が一番良かったんじゃないかなって思ったらどうしよう』っていう不安があったんですよね。けどなんかいやそんなことないなみたいな。結局、更新していっているし、多分プロセス楽しめればそんなふうに思わないんじゃないかな、とかいろいろ考えることが増えましたね。イージーモードは大事。立ち止まることがチャンスだったって感じがしますね。」
 
所長「まぁたまにまたハードモードにしたりイージーモードにしたりっていうことでいい。」
 
主任「そうですね、ハードモードには戻りたくないけど笑。」
 
所長「だからもうハードモードをお腹いっぱいした人はイージーモードにしたいし、イージーモードでいいなと思ったけど、まだハードモード欲しがっていたっていう人がいてもいいし、それがこう『自分の意図とか意識、思考のエネルギーを変えることで現実を作れる』って事がわかればいいし。僕みたいにもう『困ったことは起きない設定』をしたいんでやる。その中で困ったことが起きたとしても、それは困ったことではなくて、『なにか不安と恐れで執着したものを手放しなさい』ってメッセージかなって今は思えるし、自分が反省すべきはして、ご機嫌な現実を得られるような選択を行動していこうかなと。『あの人のせい』、『自分がダメ』、『あの時はああしたかった』っていう重い波動は一切なくて、そういう思考は手放して、結局やっちゃったことは仕方ないじゃないですか。取り返しきかないので。反省は一瞬して、でも『みんながハッピーになる選択肢ってないかな』と思うと、あるんです、出てくるんです。
ある意味それも困ったことが起こっているから、いろんなアイデアも出てくることもあるじゃないですか。毎回ずっと困ったことばかりだったら、アイデアなのか情報なのかよくわかんないんですけど、たまにイージーモードでパンって困ったことがあったら、『その発想を得るために逆境だと思ったけどチャンスだった』ってよくあるじゃないですか。困ったことと思ったけど、結果困ったことじゃなかったなって思うわけです。困ったことは起きない設定をしているからこそ、そういういろんなアクシデントとかがはっきりとわかるというか、意識できる、ちゃんと向き合えるっていう意味もあります。イージーモードで、困ったことは起きない設定だけど、困ったことは一瞬起きます。起きてもそれをちゃんと丁寧に扱えるし、それも自分が起こしたがって起きているし、より良くなりたいために困ったことを一瞬起こしているけど、結果『それは困ったことじゃないんだな、やっぱり困ったことじゃない設定なんだな』ってわかる笑。『困ったことなんて起きないんだな、やっぱりこういう設定でいいんだ』って再確認するために、運転してて『はっ!ヒヤッとするな』っていう。『あ、でもこの運転だから大丈夫だったな。やっぱりイージーモードがいいんだ』って気づくのと一緒で、『やっぱりそういうすべての現実って自分が作り出して起こしている。被害者なんていないんだ、加害者なんてないんだ』って思った方が、楽しいし、ご機嫌に現実を選んで作れるから。ずっと被害者だと、ずっと檻の中にいる感覚だよね。『誰か救世主を待つ』みたいな。『いや、救世主はいないよ』みたいな笑。乗り越えて、鍵開けて出ていくのは自分なんで、救世主がいて檻を開けてくれるわけじゃないよ。来るかどうかもわかんない救世主をずっと檻の中で待つよりかは、『あれ、開いてたじゃん』みたいな笑、『自分で出よう』みたいに気づけた方がいいじゃないですか。だいたいそういうもんなんだよ。檻という幻想があっただけで、それは自分が刷り込まれて自分で作っていたけど、『檻自体なかった』、『そこまで歩いていけるじゃん』というのが人生の秘密というか秘訣だと思うんですよね。」
 
主任「うん、そうですね」
 
所長「それにこう主任はもうまた気づいちゃってるのがすごく嬉しいなって。」
 
主任「またすごい話を聞きました。ありがとうございます。」
 
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