親の会に入会するということ
まだ退院前のある日、病棟の信頼していた看護師さんが
「こういう会があるんだけど」
と、リーフレットだったか、チラシだったか、ホームページを印刷したものだったかを差し出し、私に渡した。正直、そのときの空気感はすごく覚えているのに、媒体がなにであったか忘れてしまったのには訳がある。私は内心「出た!」と思ったのだ。なにかに誘われることが実は大変苦手なのである。群れるのもキライ。なのでそのときはあいまいに話を聞き終わらせた。そのままいただいた資料はなにかに紛れ、しっかり見ることもなかった。
それからしばらくたった日、病室に来た夫が珍しく興奮気味に新聞を渡してきた。
「人工呼吸器をつけて、地域の学校に行っている!広島の子で!」
そして続けて言った。
「バクバクの会というのがあるらしい!人工呼吸器をつけた子の親たちの会らしい。そこにこの新聞の子の家族も入ってるって!」
あぁ、思った。その不思議な名前は私がうやむやにして夫に共有しなかった会と同じだったのだ。
普段は口数も少なく、自己主張もそんなにしないが、これは!というものには飛びつく夫はここに入会しようと言い出した。 そうしてバクバクという変な名前の会に入会することになってしまった。由来を聞くと、手動の陽圧換気装置「バックバルブ(アンビューバック)」で、呼吸補助をするときにバクバクっという音がする、まさに呼吸を繋ぐ音の象徴として会の名前に冠しているとのことだった。
退院してすぐに連絡をとり入会手続きをしたのだが、入会セットとはまた別に大量に冊子やら絵本やらが送られてきた。そのときには入会特典がこんなにすごいのかとあまり疑問に思わなかったが、あとになって自分も会の運営に関わるようになって考えるとどうにもおかしい。どうやら当時の会の副会長をしていた広島在住のCさんが、同じ広島市の家族の入会に個人的に感情移入して、自分の手持ちの資料やそれまでの発行物など、ありとあらゆるものを送ってくれたのだろうかといま推察する。その数年後、私たちはCさんと人生の方向を決定づける強い強い絆で結ばれることになる。
とは言うものの、入会してからもしばらくの間(年単位で)私は送られてくる会報誌を斜め読みする不熱心な会員であった。恐れていた宗教勧誘的な(圧強めな)いろんな活動へのお誘いもなかった。
一方、言い出しっぺの夫は【バクバクっ子便利手帳】や【退院支援ハンドブック】など、むさぼるように読んでいて、いろんな制度や生活の工夫について、めきめきといろんな知識を身につけていった。
今思えば、我が家にとってはこれが良かった。よくこういった活動に関しては、母親のほうが熱心に情報収集や想いの共有を経て家の外に仲間を見いだしていき、父親は置いてけぼりのような格好になり、なんとなく両者の間に会に対する温度差が生じてしまうケースを見聞きする。その点、我が家は、夫が外からの情報を咀嚼し、私が訪問看護師、ヘルパーとのケアから実践を重ね、話題の初出しを家庭のなかで行う。家族が一番小さい単位の仲間なのだ。そこが核になり、少しづつ仲間の輪を広げていく感じでここまで来た。
そしてバクバクの会も、いろんな歴史を重ね、私たち家族の生き方そのもののような存在になっていく。
入会当時「親の会」だった会は、その数年後、親だけのものではなく本人たち自身がより主体性を持つことができるように「バクバクの会~人工呼吸器とともに生きる」に名称を変更した。
設立から30余年、会の理念の根幹には「わたしたちのことをわたしたちぬきできめないで」(バクバクっ子・いのちの宣言より)がずっとある。
親であろうとも、行政であろうとも、本人の意思を差し置いて、勝手に彼たちに関わる決定をしてはならない。