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出会いで作られる人生

一番はじめに会った障害がある人は、視覚障害のおじさん。
めくらと呼ばれ、あんまさんという仕事をしていると言われる時代。

祖父母の経営するアパートにご夫婦で住んでいたね。

道をさっそうと歩き、角に来ると曲がれるのは、「風が変わるから」と言っていた。

子どもながらにすごい人だと思った。

住んでいた町に障害がある人が何人か住んでいたり、小学1年生のクラスに自閉症の男の子がいたり、そんな中で成長していた自分。

いじめもあったし、
自殺する子もいたし、
不登校の子もいたし、
社会的弱者と言われる人たちは、周りにいた気がする。
あ、いじめる子も含めて、社会的弱者の方に属するんだろうなーと思う。

高校に行って点字クラブに入った。
バスケ部に入って体を壊したのもあり、保母さんになれないと思い、進む道は福祉系大学しか考えなかったけど、当時はインターネットもないので、東北福祉大か、淑徳大かしか見つけられなかった(あと、遠くの日本福祉大)

成績でいえば下の方だったので、友達は東北福祉大で、私は淑徳大(当時は偏差値低かった)を推薦で受験。

その後は今に至るわけだけど、影響を与えた人物としては、やっぱり小学校1年の担任である冨まつ枝先生と、大学時代にボランティアをしていた身体障害がある藤崎翠さんね。そして、自分の母親かな?

感謝している。

人生って、自分で作った風に見えるけど、きっと与えられている中で、自分が右往左往して、ここにいようかな?と思い、経験が積み重ねられ、自分の人生のかけらが足されていくと思っている。

そこに存在したからこそ、経験したり考えたりしているっていう意味。

36歳で施設長になったのもそう。
なりたくなかったけど、法人の中で順番が回ってきたからだと思っているし、その大好きな法人を43歳の時にある理由でやめたのも、まあ、その時は仕方なかったことだけど、その時の最良の判断だったと思っている。

そのころ、自分の病気にも向かい、手術して(子宮摘出)時間ができたのでインターネットを使いはじめ、全国の支援者のお悩みも知ったし、その後、法人化もできた。

ずっと、人を見てきたし、偶然に会ったその人たちと接して、私を使ってもらって、今があると思っている。

おもしろいなあ。
どんな方向に行っても、自分は人のせいにはしないよ。
いろいろな人に接して、そこから良いも悪いも学び、真似したり、考え方に共感したり、反面教師にしたり、長く付き合ったり、距離を置いたり。

場は与えられたとしても、そこにいるかいないかを自分で決めればいいと思っているから。

今日もそんな自分の人生にわくわくすることが起きるよ。
何が起きても、楽しめればいいんじゃなぁい?(夏木マリ風に)

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山田由美子
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