山田由美子
知的障害がある人を支援している人たちが、無意識に使っている業界用語。 ここに人権侵害が潜んでいるのかもしれないし、この言葉を使っているから虐待につながりかねない。 そんな言葉を業界から拾い集めていき、業界の課題を解決したいと思うマガジン
脳内多動マグロ族の第2弾。 今回は月額制ではなく、書きたい時に書く有料記事にしてみます。 そして、内容も変えてみました。 始末のある暮らしを極めていきたいです。 「今から」を楽に生きたいから。
単語から自分の思っていることを繰り広げるマガジン Facebookに書いたことのまとめ
終活に入っている。 昔の平均寿命は私の年齢より若い55歳だったね。 ってことは、いつ死んでもおかしくない。 良い死に方がしたいなあ。
Twitterで行った支援力UPクイズの解説をまとめました。 どんどん増えると良いなあと思っています。
この言葉について、 1.この言葉はどんな時に使われているか? 2.利用者側から考えてみた状況と職員の課題 3.未来に向かうための職員の行動として について、書かせていただきます。
仕事用のマガジンをはじめてもなかなか書くに至らず、でも、ちょっと進み始めたところ。 いろいろな事業を計画しつつも、自分の暮らしに焦点を当てていると、やりたいこととやるべきことが混在していて、やりたいことを我慢しつつもやるべきことを優先した8月。 そして、9月になったら、もう少しやりたいことに手をつけることができるかと思ったけど、そうではないのかもしれない。 だから、すきま時間を見つけては、布と戯れるようにはしている。
言葉が気になって仕方がない。 嫌な言葉がたくさん使われていて、その言葉のせいで知的障害がある人達への人権侵害が起きているとも思えます。 言葉くらい…と思うかもしれませんが、人は言葉によって左右され、言葉を発すれば、その言葉に合わせた行動をとります。 ですから、人権侵害が起きないためにも使う言葉を今一度振り返りたいと思い、このマガジンを開始します。 ここでいう人権侵害とは、 1.知的障害がある人は言ってもわからないだろうと思って、ご本人に対して使っている 2.知的障害があ
この記事は、2024年4月29日にFacebookで書き、その後5月1日にTwitter(現X)に載せた文章に加筆訂正したものです。 人の死のことが書いてありますので、注意して閲覧してください。 そして、勇気をもって途中で読み閉じることがあってよいですし、心が受け入れられそうなときには、ぜひお読みいただければと思っております。 たくさんの皆様にお読みいただきありがとうございます。 学びの材料としてお使いいただければと思います。 ***** 私がある施設の施設長の時に、あ
一番はじめに会った障害がある人は、視覚障害のおじさん。 めくらと呼ばれ、あんまさんという仕事をしていると言われる時代。 祖父母の経営するアパートにご夫婦で住んでいたね。 道をさっそうと歩き、角に来ると曲がれるのは、「風が変わるから」と言っていた。 子どもながらにすごい人だと思った。 住んでいた町に障害がある人が何人か住んでいたり、小学1年生のクラスに自閉症の男の子がいたり、そんな中で成長していた自分。 いじめもあったし、 自殺する子もいたし、 不登校の子もいたし、
写真を撮るのは好き。 人より、風景が好き。 植物とか、空が多くなる。 古い建造物を撮るのも好き。 そして、実は写真を撮られるのは嫌い。 今はしかたなく、顔出ししているけど、これも、まわりまわって障害がある方の幸せのためと、自分を納得させているところなので、笑顔作るのも慣れてきた(笑) カラー写真が出た時には、家族みんなでおしゃれして、赤いバラをもって、家の前で撮ったね。 叔父が、写真をしていたので、小さい頃の私は被写体になることがあった。家で現像していたので、酸っぱいに
支援をしていると、「絶対にこの支援でする」と決めつけているとうまくいかないよね? 相手の出方で、こう話してみるか?と、アドリブで対応できる力は大切だと思っている。 でも、そんなことは簡単にできるわけでもなく、半ば自分を訓練する気持ちで、別のアイデアを出せる自分を作りあげることだと思っている。 山田自身、アイデアは、出るほうだと思っている。 それが、仕事上も活きていると思ってる。 そして、それを欲しがる人もいる。 「目からうろこ!」 「そんなこと考えたこともなかった!」
「愛がある支援ですね!」 「愛情深い人ですね!」 とよく言われるけど、愛で動いていない自分です。 愛情ほど怖いものはないのではないかと思っている。 だって、愛は人も殺すから。 愛がなくても支援はできるし、愛がなくても、お付き合いはできる。 「来る者は拒ままず、去る者追わず」にしているし、一度関わったら相手から離れていくまでは、支援を続ける。離れていったときに、追いかけもしない。 そして、もし一度離れていった人がまた来たら、そこからお付き合いは始められる。過去より今だ
たくさんの人に会って、たくさんのお話を聞いて、中には深刻な相談もあるけど、ただ、背中を押してほしいという人もいるね。 今は、その内容を覚えないようにしているし、その人の名前も覚えていない。(究極の個人情報保護!) だってね、セミナーが終わると長蛇の列ができて、名刺渡されるけど、そんな瞬間に覚えられるわけがないから、覚えないことにした。 そこからは気が楽になったね。 覚えないようにしているので、「覚えないの」と言える。 覚えないというと、あちらはそれを覚えていて、次に話
2日間連続で、それなりの記事を書くと、「今日は何を書くのかな?」と、山田に期待していたらだめよ。 ㅤ 期待はしないほうがいい。 山田は、期待通りに動くつもりがないからね。 だって、わが道行ってるからね。 ㅤ 昔、福祉業界の異端児って言われたことがあるけど、最高の誉め言葉だと思ってるからw ㅤ 「期待を裏切る」っていう言葉があるけど、期待した側の言葉であって、期待された側が、別に裏切ってるわけでもない。 自分を生きていれば、相手の期待は関係なしに、自分として進む道を決めるから。
知的障害がある人は、支援者に対して、こんなことを言うことが多い。 「〇〇なんだけど、△△していい?」 この定型文で聞かれたときに、私は答えを言わない。 「雨が降っているので、休んでいいですか?」 「お腹が痛いので、トイレに行っていいですか?」 「調子が悪いけど、帰っていい?」 何でも聞いてくる。 そういう時、「答えていいのですか?」とか、「どうしたいのですか?」と聞く。 彼らの質問の意図は「いいよ」と許可してくれると思ってるから聞いてくるわけで、その他の答えは想像して
これを意識したのは、あるワークショップで、死ぬ間際まで自分に必要なものを聞かれたとき。 その後いろいろ考えて確立できたのだけど、人には生まれる前から役割があって、死んでからも役割があると確信できたし、死ぬ間際まで役割をもって生きていたいなと思えた。 だって、生まれる前から、親御さんが楽しみにする。 どんな子かな?と思われて、その子に役割ができる。ㅤ 死んでからも、「あの人は〇〇な人だったから見習いたい」とか、「〇〇して失敗してたよね~」とか、話題に上ることもあるので、
ある農家さんとのつながりで食品ロスをどうするか?と考えるチャンスを与えていただく機会が継続的にあり、いろいろとアイデアを駆使したり、実際に購入して食べたりしている。 ㅤ 農作物も国内需給量からすると深刻さが見えてくるので、引き続き、農業は着目していくし、「土」を持っている人は本当に、自給も考えていたほうがいいよと思っているところ。 ㅤ 自分には「土」がないので、いろいろな家庭菜園している人も含め、つながりを広げているところ。 そして、水耕栽培をちょっとかじり始めた。 こちらは
子どものためにお金を残したくなるのは親なら誰しもそう思うのかもしれない。 でも、お金の使い方を知らず、大金を手にしたら、親の「少しずつ長く使ってほしい」との思いとは違って、一気に使ってしまうこともあるでしょう。 その結果、身の丈の使い方に戻すことができず、浪費癖がついたとしたら、親の思いとは別な人生になってしまうかもしれないなあ。 知的障害がある人のすべてに成年後見人がつくわけでもないし、福祉とつながっているわけでもない。 親のお金は自分のために使ってもいいのではない