2019年が終わる
今日で、2019年が終わりますね。
みなさま、お世話になりました。
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ありがとうございました。
私の仕事は何か?
表向きには、
知的障害がある人の今以上のしあわせを創ること。
今年は、特に「死」ということを考える機会に恵まれ、
自分自身が、より良い死に向かって、
今をどう生きていくかを考えることが多く、
そうなると、
残り時間で何を優先するべきかを考えることもあったと思います。
あとは新しいビジネスモデルのことも考えたなぁ。
地域の中での課題を解決したり、地域の中で暮らしやすくなるためのモデル。これは進行形ですね。そのために、地域の高齢者のサロンにもお邪魔しました。
2005年に立ち上げた支援者支援の個人事業は、ビジネスモデルが悪かったのとインターネットの普及率がまだまだだったのとで、借金を抱えつつ、やめてしまいましたが、2011年に再度始めた現法人は、その反省の元、軌道に乗っています。職員も多めに雇えていますから。
その主軸は、
支援力を今以上に高めるための支援者育成に主眼を置いていたはずです。
でも、
虐待が止まらない
メンタルが止んでいく
人手不足
そういった、現場の様子を伺うにつれ、
私の残りの時間を考えると、もう、支援力を上げることを主眼とするより、チーム作りなのだろうなと、そこにシフトをしてきているのが事実です。
元気が保てるように、
チームの中でコミュニケーションが今以上にできるように、
そんなことを考えつつ、仕事をしていました。
そうなると次は言葉の問題が発生してきます。
相手を思いやる視点のなさに気づけていないことを目の当たりにします。
ブロガー気質で、一言が相手に与える影響もたくさん考えてきたと思います。これはうちのスタッフとたくさん話しましたね。
(大変だったろうな。ありがとう)
それでも、ひとりの人が変われば、その人がまたひとりの人を変えられる力になるかもしれないと、壮大な目論見を企んでいるわけです。
でもね、先ほども書いたように、いつ、何があって仕事を終えるときが来るかは、わからないですからね。
段々に同級生の訃報も聞きますから。
だから、結局はやりたい放題にしていたと思います。
利用者の商品はたくさん売れて、工賃もぐんとアップしました。
これはうれしいことでした。生活保護費を減額することに役立つわけですからね。
そして、今年は、いろいろな福祉系事業所も見学に行かせていただきました。
会社を経営している人たちともたくさんお話をさせていただきました。
情報もたくさん取りました。もちろん選別していらな情報も多々ありました。
そういうところから、仕事の依頼もありました。
お手伝いできるなら、企業さんでもお手伝いしてきました。
取材もおもしろいところから来ましたね。
どこかで、知的障害がある人のしあわせにつながっていると思うからね。
プライベートで、あっちこっちに行けたのは、珍しいことでしたね。
なかなか、季節を感じることができないので、ありがたい。
認知症の母のところにも毎月通えたし、それはもう、楽しいひと時です。
来年は、ずっと温めているコンテンツを作り上げたい。
ほんと、先に進まない。
緊急の仕事が入りすぎているからでしょうね。
自分のことは後回しになることは当たり前ですから。
さて、今日、こんなツイートがありました。
本当にそう思います。
期待されることは、嫌い。
がんばってください。
○○をやってください。
続けてください。
そういわれたくないです。
私に期待しないでほしい。
何をするかは、私の人生。
だれかから言われることじゃないってことです。
それに、私は相手の名前と顔を覚えられなくなっています。
残念なことに。
いや、それくらいでちょうどいいのだと思います。
記憶の場所は、他のことでいっぱいだから。
さて、2020年も、終活です。
終わるときにどうしたいかを人に伝えていきたいと思っています。
そのために、今を自分らしく暮らすことです。
環境に良いこと、体に良いことを探りつつ続けていきたいですね。
それは、少しずつ、できているかもしれないな。
ストレッチのおかげでだいぶ体が動くようにはなってますから。
なんたってボロボロの身体で、良く動いたなって思ってますから。
医者に行かず、この本の主なぁさんに助けられた。 ↓
そんな1年でした。
2019年、ありがとう。
2020年もよろしく。
(写真:千両。マンションの植栽)