北海道へ干しいもを販売したきっかけ
北海道では干しいもが大人気と聞きます。「聞きがたり勝田の生活史1」に干しいもを北海道で販売するようになったエピソードが載っていました。要約して掲載します。
湊特定倉庫にて
「百姓が作ったものを商人がこれはいくら、あれはいくらと値段を決める。百姓は肥料屋から肥料を借りて作物を作って、秋になって米ができても稼ぎはみんな肥料屋に持っていかれる。これではいつまでたってもしょうがないから、百姓で相場を決めればいいと茨城県では湊が初めて始めた(後に農協に発展)。
それからずいぶん業者と競争しました。さつまいもで切干(=干しいも)を作ってやった。それを作り始めたところが、非常な生産過剰になってしまいまして、どうにも買い手がいなくて540トンの山になってしまった。それで北海道へ売りに行ったのです。1937(昭和12)年の話です。
茨城県もその状況を見て「樺太でも持って行ったらどうだ」といわれ「北海道が主な市場だから」と言ったら私に売って来いという。個人の力ではどうしようもないから県費をだしてもらい、北海道各地に出張に行きました。6回は行きました。北海道で取引した業者に茨城県知事の感謝状をあげました。そうしないと売れない。その結果1キロ5銭だったのが6000倍の300円になりました。」
販売先の開拓の苦労がしのばれます。
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