快風丸に黒人が乗船していたこと
水戸光圀が蝦夷地に派遣した快風丸には、黒人2人がいて帰港してからはそのまま湊村に住んで子孫を残した、という話があります。
そのことに触れた書物を探してようやく該当記事を見つけました。
快風丸の額が評定所に保管されていましたが、寛永3年に火事で消失したことも書かれています。
崑崙奴(こんろんど)とは、漢代以後南洋から渡来した黒人の呼称とのこと。
この書物にも湊村に子孫があること、そして快風丸ではよく働いていたことが触れられています。
水戸光圀が蝦夷地に派遣した快風丸には、黒人2人がいて帰港してからはそのまま湊村に住んで子孫を残した、という話があります。
そのことに触れた書物を探してようやく該当記事を見つけました。
快風丸の額が評定所に保管されていましたが、寛永3年に火事で消失したことも書かれています。
崑崙奴(こんろんど)とは、漢代以後南洋から渡来した黒人の呼称とのこと。
この書物にも湊村に子孫があること、そして快風丸ではよく働いていたことが触れられています。