豊平川(さっぽろ文庫)によれば、快風丸が石狩川を3日遡って逗留した場所は、現在の「江別市対雁」であるとのこと。 江別は縄文の時代から唯一の交易の地であったことかららしい。
快風丸の史料として、海事史研究(日本海事史学会、1970-04)に掲載してある「快風丸渉海紀事」が読みやすくまとめられていています。
蝦夷地を探検した快風丸には、長崎から召し抱えた黒人がいたらしく、その子孫は那珂湊にいたそうだ。 (「黒坊杯迄長崎より召抱、今ニ右子孫と申伝候者も有」斉昭が送った水野忠邦宛書簡に記述)
蝦夷地を探検した快風丸に積み込まれた道具に「時を取る小磁石」があった。 時計のことらしいがなんとも粋なネーミングかと。