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1990年9月26日のプロ野球(職業野球新聞)
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1990.9.26/オ10-5ダ/ダイエー広永益隆左翼手がオリックス山沖之彦投手から6号本塁打を打ち、これがNPB通算6万号のメモリアルアーチとなった。試合は四回までに10得点を重ねたオリックスが快勝。戸羽隆遊撃手がプロ初打点となる3打点を挙げた。ダイエーは先発村田勝喜投手が3回8失点と試合を作れなかった。
本編でも触れた通り、ダイエーはこの試合で先発村田勝喜投手が炎上し、四回からは早々に救援投手を送り出しました。
二番手として金澤健一投手、三番手として矢野実投手、三番手として山田武史投手がそれぞれ登板。
三番手の矢野投手は南海時代の1983年からは中継ぎ・抑えとして一軍台頭し、毎年平均40試合程度をこなしてきました。
南海としてのラストイヤーとなる1988年には57試合に投げてリーグ最多登板を果たしています。
この1990年でも47試合に登板することになるのですが、このオフに振るわれた大ナタの煽りを受けてこの試合の対戦相手であるオリックスに移籍します。