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1990年9月29日のプロ野球(職業野球新聞)
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1990.9.29/中日6-11巨人/両軍が序盤から火力全開。巨人原辰徳左翼手、駒田徳広一塁手が本塁打を放てば、中日は中村武志捕手、大豊泰昭左翼手に一発。ところが中日は先発今中慎二投手が打ち込まれ、最後は抑えの与田剛投手が4失点と火だるま。巨人は四番原選手が3発6打点で20号の大台に乗せた。中日は大豊選手が連発するも空砲となった。
この試合で巨人の原選手は18、19、20号と3発6打点の本塁打数荒稼ぎをし、その内の2発は中日の抑えを努めていた与田剛投手からのものでした。
与田投手は新人ながらここまで31セーブを挙げて、結果としては新人王にも輝くことになるのですが、既に登板過多(それも当時としては至極当然だったイニング跨ぎもこなしていました)気味で疲労が蓄積していた与田投手は球に力が無く、この試合では2回2/3を投げて2被弾4失点しています。
翌1991年には疲労と故障で大きく成績を落とし、登板機会も減ります。1992年には復活して23セーブを挙げますが、往時の球威は無くなっていました。
球界では次第に抑えは1イニング限定、登板過多にならないように連投がかさまないようにする等といった配慮が為されるようになりましたが、その前の時代ではまだそういった考えは一般的ではありませんでした。