1990年11月13日のプロ野球2(職業野球新聞)
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穴吹義雄選手はアマチュア時代から有名な有望株で、各球団による争奪戦(当時はドラフト制度がなく、自由競争による獲得合戦がしばしば繰り広げられた)の末にダイエーの前身である南海に1955年オフに入団しました(※)。
ルーキーイヤーである1956年から6年連続でレギュラー格としてプレーし、1962年からは次第に試合数を減らしていったものの、南海一筋に実働13年で引退。
引退後は指導者としての評価が高く、コーチ・二軍監督・一軍監督を経て、この1990年シーズンオフにダイエーの編成部長に就任しました。
南海球団と穴吹氏を巡る逸話は多く、調べてみるとなかなか面白いと思います。
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