1990年11月8日のプロ野球2(職業野球新聞)
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小川宗直投手はサイドハンドの左腕で、多層主に救援として西武でプレー。四球でピンチを招く場面も少なくなく、西武での3シーズンは年間平均7登板に留まりました。
1989年オフに広橋公寿選手と共に中日にトレードされましたが(※)、中日でも1990年シーズンでわずか1登板に留まりました。
再トレードで慣れているパ・リーグの近鉄に移籍しますが、近鉄では一軍出場もなく、1992年には台湾球界の門戸を叩くことになります。
岡田耕司捕手は近鉄での一軍実績がなく、トレードで移籍した中日でも一軍出場せずに退団しています。
なお岡田捕手と言えば次のようなエピソードがあります。
岡田捕手は近鉄時代である1990年3月、二軍でのオープン戦にあたるいわゆる「教育リーグ」で、捕手として出場した際に判定を不服として審判に暴言を吐いて退場処分となったことがあり、既に捕手を使い切っていた近鉄は3人目の捕手だった岡田捕手の退場処分で捕手がいなくなりました。
現在でもフェニックスリーグ等で存在する「再出場(リエントリー)」特別ルールが当時の教育リーグにも存在しており、岡田捕手の退場の際には相手チームである中日と審判団の協議によりリエントリーが認められて既に退いていた原田和彦捕手が再び捕手としてマスクを被る事態になりました。
この時の対戦相手である中日にこの8ヶ月後にトレード移籍することになった訳です。
数奇と言えば、数奇な流れですね。
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