1990年11月8日のプロ野球1(職業野球新聞)

職業野球新聞

1990.11.8/日本ハム小松崎善久外野手と中日斎藤浩行外野手のトレードが両球団から発表。小松崎選手は感情を剥き出しにするプレースタイルが特徴の選手で、わずか1年で星野仙一監督率いる中日ドラゴンズに出戻りという形に。斎藤選手はパワーが売りの選手でファーム打撃タイトル多数。広島、中日に次いで3球団目の所属となる。

1990年シーズンの小松崎善久選手は日本ハムで32試合に出場して53打席で9安打に留まったこともあって古巣の中日に復帰。1991年は30試合51打席10安打という成績でこのシーズン限りで引退しました。

基本的に当時「武闘派」で鳴らしていた星野仙一監督率いる中日の「乱闘要員」としての知名度が高く、乱闘がまだ多かった昭和のプロ野球の側面を体現していた選手だったと言えるかもしれません。

斉藤浩行選手はルーキーイヤーだった1982年にウエスタン(広島)記録となる15本塁打(打率.316、62打点)をマークする等、打撃力に大きく期待をかけられていた有望株でした。

2年目の春季キャンプで右目に打球を受けた影響で視力が低下して出遅れましたが、ウエスタンで17本塁打、翌年も同18本塁打を叩き出しました。

ところが視力低下の影響は否めず、デーゲーム主体の二軍ではよく打つものの、ナイターが多い一軍では広島での7年間10本塁打。トレード先の中日でも2年間6本塁打と突出した数字を残せず、今度は日本ハムへトレードとなりました。

1991年〜1992年に日本ハムでプレーしますが、ここではついに1本も本塁打が出ず、92年シーズン限りで引退することになります。

2022年現在、「二軍通算161本塁打」という数字は未だに破られていない記録となっています。


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