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故・山岸俊男氏について。(日本から文化心理学を駆逐した?)

もう20年も前の話になるのだけれど、北大で2002年に
 人間行動進化学研究会第4回研究発表会
が開かれた。
 そこに北山忍氏(文化心理学)がいらっしゃると聞いて、当方は全くの部外者&一般人なのだけれど、文化心理学好きなもので、千載一遇のチャンスだと聴講に行ったことがある。

 その会はほぼ、会場である北大を根城とする山岸俊男氏(社会心理学)メインで進行し、無事終了。
 しかし、打ち上げ(?)の場で、たいへん怖いシーンを目撃してしまい、いまだに自分のトラウマになっている。
 山岸氏が、大勢の教授や学徒の前で「こいつは尻尾を巻いて日本から逃げ出す」と北山忍氏(文化心理学)をさらし者のようにこきおろし、「やり方はまずいが実験は面白いのでいただく」との旨嘲笑ってはばからない。

山岸俊男-北山忍

北山氏はただ困惑と萎縮の混在する表情のまま耐えて座していたと思う。
(その後、実際に北山氏は日本を去り、ミシガン大で研究を続けている)

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 山岸氏は、当時も飛ぶ鳥を落とす勢いの偉い人だったんだろう。

 使い切れないほどの研究資金を供給され(使わないパソコン機材をいっぱい買い込んで予算を消化するほど)、紫綬褒章も受章なさるなど、たぶんこの分野でものすごい偉いポジションだったんだろう。
 ベストセラーを何冊も出し、分野外の人間にももてはやされ、宮台真司なども「信頼の構造」やら「社会的ジレンマ」やら彼の御説をありがたく援用したりしている。
 しかし、その実、山岸氏は文化心理学をクソミソにけなすほどのご乱行もなさっていたわけで、そのために、日本国内における文化心理研究、ひいては文化進化研究さえもが、たいへんしょぼい状況に貶められてしまったんじゃないかと妄念している。

 山岸が、なぜ内在化を否定する必要があるのかは実際のところ筆者には明らかではない。おそらくこのような内在化が生じると、環境がことなって行動が「損」になっても持続してしまうという、彼のゲーム論からするといささか都合の悪い事態が生じてしまうからではないだろうか。
 筆者は、山岸がおそらく想像しているような体系的理論が可能であれば、それに超したことはないと思ってはいる。しかし、そのためには、まず、文化慣習の個々の起源に特化した綿密な実証研究が不可欠であると信じている。
~北山忍『文化と実践 心の本質的社会性を問う』2010年

 文化心理研究者の側からしても、なんでまた山岸俊男から、こんな名状しがたいほどの言われようをしなければならないのか、困惑しきりだったらしいことがうかがえる。
 山岸俊男がやらかしていた文化心理学バッシングについては、ゼロ年代の頃に旧ブログ(現在は都合により閉止)に何度か書き付けたので、一部関係者にも閲覧されていたとは思う。

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 で、思うに。
 なぜ山岸俊男は文化心理学を「認めなかった」のか。
 理由は何か。
 皮肉なことに、ほかならぬ山岸俊男自身が、文化心理的な強い拘束を心理的に被っていたからなのではないかと、彼が死んで(2018年没)からだけど、思いいたるようになってきたんだけど。
 その点だけ書き付けておきたかった。

 山岸俊男氏は1948年生まれ。
 彼が思春期を迎える1960年代前期までは、白黒テレビが普及しはじめたビートルズ前のリーゼント時代。
 敗戦によって「従来の日本の夢」はほぼ光明感を失ってどんよりと腐り落ちた状態の中、光明として立ち現れるのは「アメリカ文化」ばかり。そんな状況が、彼が浴びた文化心理だ。
 日本は、アメリカを目指せる。
 日本人は、アメリカ人と異なるものではない。
 本質的に違いがあってはならない。
 与えられた条件が違うだけであって、目指せば同じになれる。

 「目指しても同じになれないことがあってはならない」
 彼のベースはここにあったんじゃないか。
 生育過程で刷り込まれていたんだ。強迫観念のように。
 だから、文化的要因を見ない。
 人間は同じだとして、社会心理学実験のセッティングだけを見る。だから、文化心理学を理解の埒外に置く。

 比較文化心理学は、生育過程で異なる知覚や心理がヒト脳に刷り込まれていくその結果を見る。
 ひいては、「教育」や家庭環境などがどのようにヒト脳や文化に影響していくかの相互作用も見ていく分野だ。
 実際、ニスベットは異文化間の比較文化から、片足を教育学に突っ込む方向に進展させた。

 そこを考えると、現在の日本で教育学や教育投資がたいへん残念な状態にあるその故には、文化心理の違いを認めなかった山岸俊男の存在も遠因になっているのではないか(もしくは彼と同世代で同様の文化心理を浴びた高齢支配者層のせい)とも思えてくる。

 「信頼社会」うんぬんどまりで、「その信頼社会はどこから」に研究が進むことなくフリーズさせられていた原因。
 「スパイト行動」うんぬんどまりで、「その儒教はどこから」にまで思い至れなかった遠因。

▶ 『コメ作りが忖度文化を生む仕組み』

 それは、みんなが崇め奉りなさる山岸俊男氏にあったのではないか。
 無邪気な権力者、山岸俊男。

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 どこかに実際のところを把握している関係者はいるのだろうけれど、業界に縁のない部外者としては、このようなあてずっぽうを披露して木霊を聞くくらいしかできない。

 それとも、コメ文化圏とムギ文化圏に論考が進まない状態だった理由についてはそんな経緯では一切なくて、ごく単純にこのせいだったのだろうか。
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上記とほぼ同じ文章は、控えとしてブログにも置いてあります。
『故・山岸俊男氏について。(文化心理学を駆逐した?)』
 ┗ 少し関連資料(山岸氏と文化心理学研究者との確執について)を追記しました

▶ 『ミニ特集:社会心理学な本 その1』
▶ 『ミニ特集:社会心理学な本 その2』
▶ 『ミニ特集:社会心理学な本 その3』
▶ 『ミニ特集:文化心理学の本』


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