湯呑みには取手がないのに、なぜティーカップには取手(ハンドル)がある?理由を考えてみた。
お茶を毎日飲む私としては、なぜ湯呑みとティーカップの見た目がこんなにも違うのかという事が気になって仕方ない。第一印象のイメージが全然違う。
なんだか紅茶は熱くても持てるのに、湯呑みは熱いとアチチチ。となってしまう。
中国や台湾の人がお茶を飲んでいる(座談会とかで。)シーンを見ても、いわゆる湯呑みは小さめで飲む時は取手のない小さなシンプルなカップの極端を片手で持って、すするようにして飲んでいる。やっぱり少々熱いんだ。と思う。微妙に舌もやけどしそうになっているかもしれない。
一方、ティーカップで飲む紅茶は熱いけど取手を持てば、指はやけどしない。その点は明らかに一歩上を行っている気がする。
そこで私の疑問
「なぜアジア人はお茶のカップに取手をつけなかったのか」
アジアの歴史をみてみる。
そもそもお茶を飲み始めたのは中国と言われている。それも薬として。病気を治し命を助けてくれるかもしれない飲み物「お茶」は日本人の人々に崇められながら広まっていった。そんなわけだから普通に一般の人がガブガブ簡単に飲めた訳ではなく、いわゆる一握りの富裕層の人が、一口飲めるかどうか。ぐらいだっただろう。
一方ヨーロッパの歴史ではどうか。
お茶を輸入してヨーロッパにお茶が到着した当時は、お茶?何それ?程度から始まった。お茶が薬というよりも、この飲み物をどういう風に飲んだら美味しく飲めるの?って言う反応の方が当時の文化にあっていたんだと思う。
私の結論
グーグルで調べてみたけどあまりピンとくる答えはなかった。でも結論として湯呑みに取手は「必要ない」と言う一言に出会った。でも私が知りたいのは実はその先。
「なぜ」必要ないのか。である。温度だけではない理由。そこで私の勝手な推測パート1(前の記事)に続きパート2。
そもそもお茶は薬(私は実は今もそう思っている)。そんな薬は大切にされていた貴重な飲み物。きちんと両手で有難く感謝して頂くもの。なぜならお茶は体にも心にも良い治療薬であるから。
両手で支える茶碗で飲むお茶に取手は全く必要ない。だからである。
中国から戻ってきた遣唐使さん、空海さんなどが伝えてくれたこの両手で感謝しながら有難く飲むお茶は、今や大衆の飲み物となり、ペットボトルを片手で飲める時代になっている。イギリスで生活しながら、日本のお茶について考えた私の推測。読んで頂きありがとうございました。
つづく