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【TEALABO channel_27】やるからにはトップを。若手茶業家の将来を見据えた地道な挑戦。 -お茶の鉄可園 田原弘康さん-

鹿児島のブランド茶である「知覧茶」の作り手を直接訪ねて、その秘めたる想いを若者に届けるプロジェクト「Tealabo Channel」。

日本茶は全国各地に産地があり、各産地で気候や品種、育て方が違います。そんな違いがあるから「知覧茶」が存在します。一年を通して温暖な気候がもたらす深い緑色と甘みが特徴である知覧茶の作り手の話を皆さんにおすそ分けします。

第27回目は、『お茶の鉄可園』(以下:鉄可園)の田原弘康さんにお話をお伺いしました。

お茶に育ててもらったから

高校生のときに継業する気持ちが固まりました!鉄可園のお茶に育ててもらったから僕の代で終わらせたくない。そんな想いが強くなったんです。

一つ一つの言葉や表情に強い覚悟が伝わってきます。

今回の取材。実は、事務局からお父さんの取材ができないか相談したことが始まりでした。

やりとりの中でお父さんから

今回は息子の弘康がお話します。きっと、それがいい。うちの息子は就農して短いですが、自分の言葉で色々語れます。

と言葉があったのです。弘康さんは今までのTEALABOの取材を通して最年少になります。

お茶の鉄可園 田原弘康さん

若さも年齢も感じさせない、力強い雰囲気から取材陣は胸の高鳴りを感じざるを得ませんでした。

そんな弘康さんにお父さんの印象を伺いました。

「父は何に対しても人一倍頑張るタイプですし、だからこその厳しさがあります。僕はまだまだ甘いところだらけです。父みたいにならないといけないと日々背中を見て感じています。

高校卒業後は関西の大学へ進学。継業する気持ちが強かったため、就職はせずに、大学を卒業後はUターンし、鉄可園の一員として就農されました。

現在就農3年目(その前に1年間研修期間あり)の弘康さんの見る茶業の世界を深掘っていこうと思います。

若いからこそ、わからないからこそ

まずは工場へ案内していただきました。

自社工場の設備、仕上がったお茶の評価やデータ、先輩方から教わったこと。これらを踏まえ、就農3年目となる今年から工場に新しい機械を導入されたといいます。

「こっちに戻ってきてから様々な工場を見学して、先輩たちに色々な知恵を教えていただきました。今のうちだけだと思うんです。若いからこそ、わからないことが多いからこそ、その時に動かなきゃって。

学ばれているうちに気づいたのは評価が高い茶葉を製造している茶工場はきちんと投資をしていることでした。

そこに着目し、鉄可園として自社工場に投資する決断をされたそうです。

自社工場にて

今年はかなり楽しみです。この2〜3年で色々な工場を見に行き勉強をしてきて、それを投資するという判断でアプトプットしました。他にも肥料設計や整枝の仕方も本腰入れて学んだので、今年のお茶は自身があります!

弘康さんは、憧れている頴娃の茶業家がいて、その方は何と小学校時代のソフトボール部の監督だったそうです。

「お茶の時期が始まると意見交換や相談をさせてもらっています。落ち着いた時期には飲みにも誘ってくださり、とてもお世話になっています。いずれは、そんな先輩と対等になりたいし、追い越したい気持ちが強いです。」

今年から導入した機械の一部

細かいところまで目を配ることで

続いて、自園へ案内いただき、現在考えられているお茶づくりについて教えてくださいました。

市場や問屋さんに認められるようなお茶をつくりたい。それが今の僕の目標です。ただ、一気に結果を出すのは無理だと思います。徐々に信用を高めていくことで「あそこのお茶は毎年いいよね」と言ってもらえるようなお茶づくりを地道に続けていきたいです。

一番力を入れたいのは畑です。どんな投資をして、機械が良くなっても、原料となる茶葉自体の質が良くないと、美味しいお茶は作れません。だから、畑は一番こだわって作業していきたいです。

自園にて

常に芽や土にも目を配り、現場での細かい手入れや外での情報収集は欠かさないといいます。

「聞きづらいことなのですが、他のお茶農家の方に肥料についてお聞きすることもあります。自分の本気度を伝えることで、皆さん親切に教えてくださいました。」

自園(ひろやすさんの好きな畑でもあるとのこと)

やるからにはトップに

大学の同級生はほとんど都市部の方へ就職される中、就職せずに、すぐに就農という道を選ばれた弘康さん。

4年生の春休みには実家へ帰り、茶工場の手伝いをしながら、作業の流れを学ばれたそうです。

「同級生を見ていると、土日祝日は休みだったので“いいな”と思うことも何度もありました。でも、お茶づくりに魅力があると感じていますし、コロナ渦で大変な時期だからこそ“やるからには絶対トップになってやる”という気持ちがあり、それがモチベーションにもなっています。

「茶時期になると大変なことだらけですが、野球部時代に培った根性もありますし、周辺に頼りになる先輩たちもいらっしゃるので、前向きにお茶づくりができています。」

そんな中で就農当初の失敗談を話をしてくれました。

「鉄可園で就農する前に、1年間茶市場にて研修を受けていたんです。当時、コロナ渦が始まったばかりで、どこの工場の茶葉も評価が前年より落ちていました。でも、うちの工場は評価が上がっていて・・・。それで、“お茶づくりって意外に簡単なのかもしれない”“イケる!”と思ったんです。そして、次の年に研修が終わり、工場へ合流し、茶市場へ出したら評価が下がってしまって。」

“これではいけない”“気を引き締めて、ちゃんとお茶づくりに励まないといけない”と思いました。そこから、工場見学や色々な方にお話を聞きに行くようになったんです。

これからの茶業界を支えていく世代として

最近は輸出に興味があるという弘康さん。

三番茶や四番茶といった茶価が低いお茶をいかに高く売っていくか。そこを考えた時、海外でそれらの需要があることを知ったそうです。

「アジア系の国や台湾あたりに目をつけています。有機栽培も検討したのですが、作業量が多く、労働力も増やさないといけません。それなら、今の栽培方法で勝負できそうな国に輸出みてはどうか。そう思ったんです。」

「でも、いきなりの輸出は難しいので、少しずつ時間をかけて準備をしていこうと思います。少なくとも、売れなくなってから考えるのではなく、将来を見据えた上で海外へ視野を持っておくのは大事だと考えました。」

最後に今後の展望と課題について伺いました。

「どの業界も同じですが、後継者不足が課題として大きいと思います。そんな状況下で、どう人材を確保していくか。こればっかりは自社だけでは限界があります。だから、地域や職種を越えて一緒に何かやっていくという段階に入っているのではないかなと。」

先輩たちが次の世代に基盤を築き上げてくださったように、僕たちも若い世代だからこそできることをやっていかないといけません。

長い目線で地道にお茶をつくり続けることが、目の前の課題を解決することに繋がると信じています。これからの茶業界を支えていく次の世代として、さらに前に進み続けたいです。」

年齢なんて関係ない。

今回の取材の中でその言葉が頭をよぎりました。

もちろん技術や知恵、経験等足りない部分はあるかもしれません。

でも、どんなに若くても、失敗しても
気づき、アクションを起こすのが早ければ
それだけ築き上げていくものも多いかと思います。

弘康さんや知覧茶を担う次の世代が
どんな未来をこれからつくっていくのか。

そんなことをつい想像してしまう時間でした。

【プロフィール】
田原弘康 (たはらひろやす)
1997年南九州市頴娃町生まれ。
加世田高校卒業後、同志社大学商学部に入学。経営に携わる学問を学び卒業。その後1年間鹿児島県経済連茶事業部で1年間研修を経て就農。現在薩頴産業有限会社にて茶の栽培や製造を行っている。

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