創作エッセイ:"将来の夢"という名の壮大な"理想形"
歴代の"理想形"たち
小学生:バスケットボール選手
中学生:金持ち
高校生:人の役に立つ
大学生:自由に生きられる環境づくり
社会人:???
成長と共に見えてくる現実。
大人になるにつれて抽象的になっていく夢。
生きる意味を見出せなくなっていく日々。
「将来の夢」とは、「人生」とは、一体何なのだろうか。
正解が無いにしても、"普通" と呼ばれる基準があるのだろうか。
それを追い求めて何になるのだろうか。
見据えた先にあるもの
私は30~35歳ぐらいで死にたい。
死ぬ日を決めて、それまでにやりたい事をやって、最後に「ああ、楽しかった。」と気持ち良く逝きたい。
イジメられてるとか何か生活に不都合があるわけじゃないし、何なら割と幸せに生きてると思う。でも死にたい。
理由は簡単。
「何十年も生きた先で楽しみにしていることが何も無いから」
こういう話をすると言われるのが
「人生の楽しみや目標は自分で常に作っていくんだよ!」
「日々の成長が人生の楽しみに繋がるんだよ!」
「辛くたって、生きてるうちに幸せが見つかるんだよ!」
…いや、そこまでしないといけない "人生" ってなんなん?
逆に考えてみてほしい。
常に目標や楽しみを見つけないと価値を見出せない人生。
本当に来るか分からない幸せを信じて我慢を強いられる人生。
そうまでして生きたい理由は何?
幸せな生き方や人生を楽しむコツを語る人はいても、そもそも何故生きる必要があるのか理由を教えてくれる人に出会ったことがない。
いつか生きる意味が理解る時が来るのだろうか。
自分の人生に価値を見出す時が来るのだろうか。
昔のように、具体的な "将来の夢" を持てる日が来るのだろうか。
そんな風に日々に疑問を持ちながら、きっとこの先も生きていく。
見据えた先にあるもの:後日譚
ただただ消化試合のように無難に生きている。
気分で趣味を始めたり友達と遊びに出ても、瞬間的に満たされるだけで今後の楽しみにはなかなか繋がらない。
そんな折に出会った一人の男性。
正直パッとしないし何かロマンチックな言葉をくれたわけでもないのに、会った瞬間に「この人とずっと一緒にいたい」と強く思った。
運命の出会いとか信じてないし、今後の人生に価値を見出せないことに変わりは無いけれど。
この人がいるならもう少し生きてみようかな、と思う。
人生なんて、意外とこんなもんで良いのかもしれない。
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