「好きなこと」で生きなくても,「自由」に生きられると思う。
「好きなことで生きていく」時代は過去のこと
どうやって「好きなこと」を人生に組み込むか考えていたら,就職が遅れた。
大学院では,熱心に茶道をする社会人を研究した。彼らは会社員をしながら茶道教室や団体を主宰したり,脱サラして茶人専業になったりした人たち。
つまり趣味を趣味以上にした人々に,会えるだけ会ってきた。
現代茶人を研究する程度には茶道に疑問があったし,お茶が好きだったのだと思う。
院を修了後,私はいわゆる「お茶の仕事」や「好きなことに関係ある仕事」を選ばなかった。研究の結果ともいえる。
自分にとっては,「好きなことで生きていかない」選択が自然だったのだ。
なぜ「自由」な会社で自由を感じなかったのか
結論から言うと,1社目はもう退職してしまった。
その前職はお茶と全く関係なく,システム開発のプロジェクトマネージメント(の補佐)をしていた。
資格は何一つ活用できなかったが,フルフレックス制でリモートワークに制限のない会社。複業にも寛容だ。
新卒で得られる裁量とは思えない「自由」な会社だったのに,死なない程度に辛い病気はコンプリート。急にリンパが腫れて毎週検査する羽目になるわ,鼻に膿が溜まって脳に届きそうになるわ,患部のバリエーションのせいで診察券のコレクションが増える一年半だった。
書ききれないがもちろん,その会社に一年半いた理由もある。
その期間で,「自由を感じるために本当に必要な自由」を考えた。
出社時間が遅ければ自由なのでもない。それは単に,終業が遅くなることを意味しているかもしれない。
もっというと,お茶と関係ない仕事だから身体を壊したのでもない。
私の体調に関してはおそらく,仕事内容は関係なかった。
職探しの軸探し
病気がちになって余計に,リモートワークが増えて出社の回数が減った。
だからこそ「自由」な会社に残るべきだったかもしれないが,どの会社でも何歳でも,個人的にお茶を続けることはできるはず。
でも業種と業界は,20代半ばの今じゃないと変えられない。
そう思って普通のエージェントに登録し,再びお茶に関係ない職に就こうした。
具体的にいえば,私は茶道そのもの(茶道教室など)で収入を得ることは目指しておらず,むしろ茶道教室ではない収入源を常に探している。
茶道以外の世界と繋がっておくには,お茶に関係ない仕事に就くのが一番早い。そんな考えで転職先を探した。
しかし転職活動をすればするほど,自分が働ける会社が全然ないことを知った。
前職のような「自由」な会社を探していたのも悪いが,大企業向けの振る舞いができないことも原因だった。
転職サイトに掲載されているような一般企業に勤められるかどうか,そこから考え直さなくてはいけなかった。
「好きなこと」も辛かったから転職した
個人的に続ければいいと思っていた,自宅で撮影する毎日のお茶写真がしんどくなったのも,転職活動をしていた時期。
ここでは割愛するが,お茶がお金になっていないと周りに言われたりして,毎日何かを頑張った先に何もないように思えたのだ。
そんな人たちが周りにいたことのほうが辛いが,「好きなこと」が辛いと親しい人たちに訴えても,あまり理解されなかった。
そんな時期に今の会社から話をいただき,職場に茶室が新設されるタイミングで転職した。フリーランスにもならず,今はアートギャラリーの正社員として,茶人の仕事をしている。
それは前職と「好きなこと」のどちらも続けられなくなった時期に選んだ道。
①お金にならなくても辛くない程度に「好きなこと」を続けるか,
②毎日している「好きなこと」の意味を仕事という形で誂えるかの2つしか選択肢がないように思えたからだ。
1つ目の「お金にならなくても辛くない程度に『好きなこと』を続ける」のが辛く感じたから,2つ目を選んだ。
②を目標に前職を辞めたのでもない。
今のところ正しい(と思いたい)今の自分
こうして,お茶に関係ない仕事をしながら茶会をする複業茶人ではなく,フルタイム茶人になった。毎日家でお茶の写真を撮り続けてきたが,今は毎日職場で作品を撮っている。
私は今の仕事に満足している。
しかしあれだけ「お茶と関係ない仕事」にこだわっていた時期だったら,もしくは他の企業の内定が先に出ていたら ––––他の選択肢が目の前にあったら,きっと引き受けていない話だった。
その判断が正しかったかどうかは,今の仕事で何を為せるかで決まる。
それは「好きなこと」に関係ある仕事だろうとなかろうと同じだ。
仕事における「本当の自由」とは何か
「好きなこと」に打ち込める時間が長い人生は,確かに「自由」だ。
しかし一緒に働く人たちに気を揉んだり,働く意味や社会的価値をどこからか持ってきたり ––––仕事内容そのものに関係ない労力の寄せ集めも人生だと思う。
そこでは良くも悪くも,「好きなこと」と「仕事」と「それ以外」の境界なんて薄れている。
私の例でいえば,「好きなこと」と会社の仕事とプライベートが全てブチブチと区切られており,そのくせ全てを混同して,切り替えがうまくできていなかった。
あちらを立てればこちらが立たない状態が,身体を壊した原因だったと今は思う。
仕事とそれ以外といった切り替えが下手な人間にとっては,好きなことと仕事を二項対立で考えなくていい人生を「自由」と呼ぶのだ,と思った。
仕事と「好きなこと」の比重を自分で決める
その会社が合わないのか,毎朝の出勤が無理なのか,8時間労働が辛いのか,平日の日中に出歩けることに「自由」を感じるタイプなのか。
会社員が向いていないといっても,傾向は人それぞれだ。
その意味で私はもう,フリーランスだけが自由な働き方なのではなく,趣味を仕事にした人だけが自由な生き方をしているのでもないと知っている。
今だから言えるが,「自由」を得るために必要なのは,勤務中の8時間なりで好きなことをしようとする努力だけではない。
人生における好きなことの比重は10%でも20%でもよくて,その比重を自分で決められたらいい。
100%「好きなこと」だけの人生じゃなくても,私たちは「自由」に生きられる。
全員が目指すべきゴールなんてない。「好きなこと」とそれ以外の比重が一人一人違っていていいからこそ「自由」を感じるのだ。
「好きなことも引き続きしながら生きていく」
転職したからといって,「好きなこと」に使える時間が増えたとは限らない。
1日8時間お茶の仕事をしても,個人アカウントの更新や,社外のお茶の活動は続く。
むしろ仕事以外でお茶をする時間を確保することが,前より重要になった。
「好きなことで生きていく」のではなく「好きなことも引き続きしながら生きていく」ので,やることが増えただけだ。
「好きなこと」なんて詰め込まない方が,よっぽど「自由」な時間がある。
それでもその比重を自分で決めているうちは,多少時間がなくても受け入れられるはず。
今の自分にとって正しい判断ができれば,「自由」だ
社会人一年目で「好きなこと」に関係ない仕事をしたのは,(いくら病気になろうと)当時の自分にとって正しかった。「正社員として好きなことをする」という判断は,社会人になって一年半経った自分にとっての正解だった。
来年や再来年の自分にとっての正解は,今はまだ分からない。
だから「好きなこと」とそれ以外の比重なんて今後確実に変わるし,自分で変えていけばいい。
それは今が社会人何年目だろうと,同じこと。
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