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ひとつの間違いを起こすために、奇跡が起こりまくっている

いい結果にならなかった過去は、すべて間違っていたように思える。昔こだわっていたことが今となってはどうでもよかったりして、なぜあんなに頑張っていたのかすら思い出せないこともある。

ただ、お茶の仕事を初めて個人で受けたきっかけの方と6年ぶりにお話しした時に、もしこの方がいなかったらその後何も起きていないんだ、と思ったことがあった。
「あそこでNOと言っていたらお茶は仕事になっていない」と思える瞬間が、実はいくつかある。

それらが正しかったのかはさておき、それぞれにYESと言っていなかったら、お茶を仕事にすることは永遠に「できたかもしれなかったこと」になっていただろう。

仮にYESと言ってしまったことが不運の始まりだろうがなんだろうが、間違いの一つひとつだって、偶然起こったものではない。
どの間違いだって、あの時誰かがあの仕事をくれたから、あの時誰かがああ言ってくれたから、あの時なぜかあそこにいたから、起こってしまった。


自分の思い通りになったものだけを歓迎していたけれど、思い通りにならなかったものも、また別の奇跡の布石だったのかもしれない。
一つのありがたい結果を奇跡的に生み出すには、奇跡の一つや二つでは足りないのだろう。
一つの間違いを起こすのにも、思っている以上にたくさんの奇跡が必要だ。

だから、いいものも悪いものも、今起こっているすべての「何か」は、その「思っている以上にたくさんの奇跡」のうちの一つだろう。


だから私は、今まで起こってきたすべての奇跡とやらを、間違いだなんだと言ってないで一旦引き受けなきゃいけない。

そのためには、意志に反して起こったことも引き受けないといけないらしい。
最近ようやく実感しているが、間違いを間違いだと思わなくなるためには、カオスを歓迎する心の土壌が必要だ。

そしてそれは、昔の私にあって今の私にないものだ。

こう思えるようになった分だけ、大人になったのかもしれない。

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矢島 愛子 / Teaist🍵
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