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気を揉む割に,優しくない人。

ここでこう言ったら,ここでこうしたら,目の前の人は喜ぶかもしれない。いや,目の前にもいない遠くの誰かのためなのかも。
そんな考えが駆け巡る間,私は何も親切なことをしていない。

私がどんな言葉を投げかけないから相手が不幸だとか,私が気にしなければ可哀想だとか,思い上がりではないだろうか。

他人の言動をどう捉えるかは本人次第。
ひいては私が優しくしないことを不幸だと思うかどうかも,本人次第。

そう言ってしまうとドライにしか聞こえないので,ずっと言えなかった。


*

立場を逆にしてみて,「この人がこうしてくれれば」と願う誰かが本当に「こうして」くれたとしても,私は意外と幸せにならないのかもしれない。

誰かが何かしてくれるかどうかより,私が今の状態をどう思うか,何を考えながら生きているのかのほうが「自分が幸せかどうか」そのものに影響する。

人生の仕組みは単純で,自分は幸せだと思ってる人が幸せだ(周りから見てどうあれ本人は)。

誰がどうしてくれるかより,本人がどう思うかが10割。


*

自分がこうすることで相手がどう思う,だからなんなんだ。
相手が何をしてくれるかより,それをされた自分はどう思うんだ。
「誰かにそれをされなかったこと」みたいな,現実に起こってすらいないことで不幸になってどうすんだ。


だから私が何をしてもしなくても,それぞれ幸せでいてほしい。

私が何をしてもしなくても,誰も不幸にならないでほしい。


––––––こうやって変に気を揉むより,無心で優しくするほうが簡単だ。


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