題辞(エピグラフ)
(この記事は修士論文の一部ですが、このnote単体でも読めるようになっています)
ついこのあいだ、ある理想のために殉教した人たちのことについて話していたとき、
私にこんな質問をした人がいました。
「その人たちが命をささげたのは、なにもかもむだだった、
無意味なことだった、なんて、ひどいとお思いになりませんか」。
私は、無意味だとは思わないと答えざるをえませんでした。
たとえ無意味に思えても、命をささげるような人がいるうちは、
この世の中もひどくはないのです。
この世の中にそういう人たちがいるうちは、生きる意味があるのです。
〔V.E.フランクル『それでも人生にイエスと言う』山田邦男、松田美佳訳 p.37 春秋社〕
2018に全文公開した修士論文のうち、実は唯一公開していなかったのがこのエピグラフ(本の扉をめくったところや章の区切りとなるページの裏に書かれている引用文)だった。(この部分をどう呼べばいいのか知らなかった)
その修論のあとがきでは、私がその研究題材を選ぶ経緯に触れ、なぜか「無意味さについて」話し始める。最初に茶道という題材を選んだのは学部時代で、学部のときは「意味づけしない限り意味は無いのではないか?」とずっと考えていたからだ。研究の始まりと「無意味さ」は分かち難い。
極論を言えば、自分の命とかも意味づけしないといけないと思っていた。
生まれた瞬間から命に意味があるなら、私はあんなに必死に"生きてていい人間"になろうとしなくてよかったし、あんなに生きづらくはなかったはずだったから。
意味づけは対外的で社会的な行為なので、いつでも外ヅラ(=人からどう判定されるか)の話になる。他人に説明できるような「意味」がないと無意味だとジャッジされるな〜、と感じていた。20代前半は。
20代後半になっても、分かりやすい形では人の役に立っていないので、他人からは意味がないように見えているだろう。
でも論文を書き進める中で、何を足掻いたところで変えられないものがある(起こっていることが全て正しい)と気付き、その圧倒性を前に「あ、もういいんだ」と思えていく過程が、修論のあとがきの中で書かれている。
おかげで、今では「意味づけ」について考えることはほぼ無い。多少は生きやすくなった。
ただし、お茶が研究対象から仕事に変わっていった今でも、引き続き社会の役に立っていない(と思われていると思っている)。
対外的な「無意味さ」は消えないままだと感じていて、逃れることはできていない。
でも、無意味に感じてしまうときは、その度に冒頭の引用を思い出してもいいのだろうか。
エピグラフをずっと公開してませんでしたが、本来は、このエピグラフとあとがきでセットでした。このセットでこそ、学部時代からの怨念(?)が回収される修論になるはず。
その修論の続編(より現在に近い話)は、うまくいけば海外の学術誌に掲載されます。
職業や今していることの無意味について上でブツブツ書きましたが、次に出る論文ではそんな話にも客観的に触れ、無意味さとはまだ、付き合い続けています。