言い返してたら、20代終わった。
仕事や実績で言い返すのハードモードすぎる
30歳になったので思い返すと、20代は人から言われた言葉に反応してきただけだった。よく言えば、反抗心のままに行動することで人生が前進してきた、のかもしれない。
「これは人類学じゃない」と言われたあの日から今日まで、書いた論文2本が査読を通過した。ちなみに「バカヤローを言いたい相手」というのは上野千鶴子さんの著書から。私の人生、「ありがとうを言いたい相手」と同じぐらい「バカヤローを言いたい相手」が多い。
例えば昔から「えっ(その性格で)彼氏に料理作るの?」とか言われていたが、レシピや料理の仕事をするようになったら言われなくなった(言い返したくて仕事を選んだわけではないけど、結果として)。そもそも性格と料理に相関はない。
思えば21歳ぐらいから5年間は、お茶の写真を毎日撮ってSNSにアップし続けていた。撮り始めて最初の数年間は「毎日撮ってるんならすごいんじゃないですか」などと言われて(何様?)、写真そのものが褒められることなんてなかった。
「毎日」継続している点しかすごくないのが嫌で、逆に狂ったように撮り続けた。写真そのものが評価されたり、仕事で求められるようになったりしてから、ようやく「毎日」写真をアップする執着から逃れられた。「毎日」じゃなくても認められるようになったからだろう。
確かに「やりたいこと」に近い領域ばかりをこなしてきたけど、「やりたい」と「やらざるを得ない」と「自分以外の何かにやらされてる」を常に混同していた気もする。でも全てを闇雲にこなして経験を積むしかないと思っていた。
20代はそれでもよかった。
嫌なことに対する記憶力が良すぎる
ここには書けない言葉含め、人から言われてムカついたセリフに呼応するようにキャリアが構築されてきた。それを言ってきた人間には興味がないので、名前も顔も覚えてないし二度と会わないけど、言葉だけを覚えていた。
ここに書けるような言葉はまだ可愛いものだけど、私になら失礼なことを言ってもいいと思われていたのはやはり、自分が20代の女だったことも大きい。
わざわざバカにされなくなってきたのは、私が実績を積んだからではなく、単純に年をとったからだろう。
仮に失礼なことを言わない常識人にしか出逢っていなければ、逆に何も行動してなかったと思う。悔しがることも焚き付けられることもなく、わざわざ努力もしなかったはず。
その意味では「え?あなたそんなこと言うために私の人生に登場したの?」みたいな方々も、多少は必要だったのかもしれない。
(ただし私は、他人の人生で「そんなこと」を言わないようにしたい。)
そうやって燃料を注ぎ足されつつ、自分に向けられた中指をへし折る形でしか、前に進むことができなかった。
言うなれば、常に「起こったこと(過去や現在)」ばかりを見ていた。
「まだ起こっていないこと」を自分で決める
過去ばかり見つめていたのは、「まだ起こっていないこと(未来)」を考えるのが本当に苦手だからだろう。
正確に言うと、未来を思い描いたところでその通りになると思えていない。
プランAがうまくいくなんて思えてない分、進めた道で「よりよいプランB」を生きることは得意になってきた。
ただし同時に、自分に欠けていたのは未来を考える力、未来を自分で決める力だとも思っている。「起こってほしいプランA」を考える力が本当に弱い。
だからこそ、「目に見えづらいもの(例えば人の心理とか)」を分析して「アイデア(=まだ起こっていないこと)」を考える会社へと変わった。
これから先どんな選択をしても、「あなたそんなこと言うために私の人生に登場したの?」的な人は絶対現れる。
そういう人を見つめていると、自分で考えた未来には近づいていかない。下手すると、誰かの考えたプランB'やらCやらを生きることになる。
だからこそ「あなたにはこう生きてほしい」という他人の願望や期待も、話半分に聞いておけばいいと思う。誰かの「こう生きてほしい」と自分の「こう生きたい」を混同しそうなら、半分も話を聞かなくていい。
好きなことよりは得意なことをしたい気持ちが強いので、人にどう評価されるかを気にして、他人の声を聴き続けてきてしまった。そうやって他人に求められる仕事をしていれば、他人の考えるプランCやDに沿って生きつつ、それなりの結果は出せると思う。
でも一通り言い返した後にようやく、誰に何も言われなくても選んでしまうような道を歩きたいなと思った。
プランAも正解ではなく、間違った決断なんてない
30歳になったので白状しますが、実は「茶人としての自分」は結構、プランBでした。これについては3年以上前にも少し書いています。
かといってプランA(博士課程後期に進んで研究者を目指した場合など)が正解だとも全く思っていません。自分の研究能力を考えると、修士課程前期までで院を出たのは人生有数の英断だった気がします。ではプランBが正解だったかというと、今結論を出すつもりはありません。
人が思う「好きを仕事にした人」のイメージと違ってて、なんだかすみません。でもお茶に携わった日々を振り返ると、おかげさまで充分すぎるほどいい思いをさせていただき、本当に感謝しています。
私がこれから何をしてどう変化しようと、今も関わっているものについてはできる限り続けたいです。良くも悪くも過去は消えないですし、引き続きお茶も、できることがあれば大なり小なりやるつもりです。
これまで歩いていた道をパッと見は逸れようと、残念に思われる余地は何もありません。
何が起きようと誰にも期待されていなかろうと、誰に何を言われるでもなく私が初めて自分で未来を思い描いて、そのために行動した結果です。
具体的には、未経験の職種に思い切った転職をしました。
2022年にしたいことのnoteの一番最後に「「今していないこと」を一つでも多くこなしたいです」と書いていたのですが、その「今していないこと」をさせていただけることになりました。
30代の抱負
今後はムカつく言葉に行き当たりばったりに反応するだけではなく、「未来(まだ起こっていないこと)」について考えられるようにしたいです。
これまではお茶が有形商材だったからこそ仕事になってきた自覚はありますが、お茶だけでなく無形のものにも目を向け、広く社会や世界のためになるような選択と行動をしていくフェーズだと思っています。(そもそも私にとってお茶は結構無形なのですが、多分あんまり伝わってないのでその話は割愛...)
一言で言えば、お茶"だけ"を見ていたら辿り着きたいところに行けないかもな、という不安がありました。この「辿り着きたいところ」も年々アップデートされるので、行動も仕事も細かくアップデートしたいです。
あと40代になる頃には、もう少しまともなタイトルの文章が書けてるといいね、とは思います笑
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