外国人という体験。
「海外で働く孤独から得られるもの。イチロー会見に在外日本人が共感したこととは」
(引用: BUSINESS INSIDER JAPAN, 2019.5/2)
皆さんはこのイチロー選手の引退会見を覚えているでしょうか?
自身が「外国人選手」として長年メジャーの舞台でプレーしてきたことで「日本にずっといるだけでは見えないマイノリティや社会的弱者の気持ちが理解できるようになった。」
…と発言されています。
私は2019年〜2020年の1年間、ほぼ日本人のいないカナダ🇨🇦北西部の田舎街で永住権を目指してワーホリビザで働いていました。(結果的に計画はうまく行きませんでしたが…) その当時、このイチロー選手の記事を見て私の体験と重なる部分がありました。
以下は私が当時カナダ🇨🇦で
「外国人労働者」として働いていた時に思い浮かんだことです。
海外で外国語を使いながら外国人労働者として長期滞在していると、日本にいる外国人労働者のことをよく思い出しました。私が名古屋に住んでいた時、ほとんどのコンビニで外国人労働者を見かけました。多くの日本人は外国語を真剣に勉強したことが無く、海外経験もほとんど無く、そもそも海外に関心も無く、日本の中で日本語だけで当たり前に生活しています。それ故に、外国人労働者というマイノリティの立場をあまりに理解しておらず、平気で「日本語下手くそ」とか「国に帰れよ」とかいう人間も少なからず見てきました(断トツで40〜50代のサラリーマンが1番多かった。) 彼ら外国人労働者は当然、故郷もあり、母国語もあり、各々のアイデンティティがある中で、日本を選んで外国語である日本語を使いながら仕事をしています。例えそれがスキルの要らない単純労働であっても、国も言語も変われば本当に大変なことです。
実際に私もカナダの山奥でロッジの仕事(接客、清掃、調理補助、皿洗い)をしていましたが、想像以上に大変でした。まぁ体力的な意味もありましたが(笑) もし、これ日本語だったらもっとスムーズに仕事できているんだろうなーみたいな事は何度も思いました。もちろん、毎日英語漬けの日々、ゲストと話す時に、自分の英語変に思われんかなー?なんて最初は気にしていたけども、バカにされるどころか、「日本からわざわざ来たのか!」とか「英語上手じゃないか!」とか「英語で仕事するの大変でしょ?すごいね〜!」みたいな反応で、ただでさえ孤独を感じていたので本当に心から救われました。例えそれがお世辞とかであったとしても。
言語が変われば本領の50〜70%ほどしか力を発揮できなくなってしまうものです。 (個人的感想)