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誕生日に無関心な私は変なのか?! 誕生日がうれしくない理由
こんにちは、チームシンヤです!
今回は、誕生日に対する私の考えをお話します!
共感できる方はほぼいないと思いますが、私は誕生日がうれしくないです。
誕生日に特別感もないし、特に気にしたこともありません。
19歳から20歳は権利がもらえるので嬉しかったですが(笑)
誕生日は特別でうれしい日というのがマジョリティの意見であり、私はマイノリティの意見だということは分かっていたので、ほとんど周りに言ってきませんでした(笑)
しかし、今日たまたま隣のクラスの先生(31歳男性)が誕生日だったので、ちょっと話してみたんですよ~
私「誕生日おめでとうございます!どうぞ(おかき)」
隣のクラスの先生「ありがとう、すぐ食べるわ~」
私「変なこと聞いていいですか?誕生日ってうれしいですか?」
隣のクラスの先生「もう年は取りたくないからあんまり(笑)、でもおめでとうって言われるのはうれしいよ!」
と話してくれました。
この会話から、他の人にも伝えてみようかな~と思ったので匿名性のあるnoteに書かせていただきます😂
共感してもらおうとは思っていません、、、
しかし、もし!同じ意見の人がいたならばマイノリティ仲間だと思っていただけたらと思います(笑)
私が考える誕生日のあり方
私はいろいろな視点で誕生日を見ています(変人ですよね~😅)
その観点を紹介します。
・誕生日は何も頑張ってないのに、「おめでとう」と言われる違和感
「おめでとう!」って何か頑張った時や成功した時に言われる言葉だと思っています。
その観点から行くと、誕生日におめでとうってなんだ!?となるわけです(笑)
だって、私は何も頑張ってないし自然と生まれてきたわけだからです。
私の考えでは本来、私の母におめでとう!と言うべきではないのかな~と考えてしまいます、、、
・誕生日の前後で何も変わらない
これは卑屈な考え方かもしれませんが、○○歳364日目と○○歳1日目の差異はないと思ってしまうんです。
その1日で1歳増えてしまうという概念があまり好きじゃないんですよね~
年度や成人、定年など人の時間に区切りをつけることで社会が回ることも分かっているのですが、それに支配されたくない自分がいます(笑)
・子どもは歳を取るのが喜び、大人は歳を取るのは恐怖
子どもが健やかに成長することはめでたいことであり、喜ばしいことです。
その成長のお祝いに、ケーキやプレゼントを贈るのはわかります。
それに対して、定年までの大人は死亡率も低く、生に対しての喜びは少なくないですか?
それよりも、動けなくなるや病気になるなどの恐怖を刻む過程だと思います。
長寿になれば、再び「還暦」「喜寿」「米寿」「百寿」とお祝いしたらいいと思います!
・誕生日を祝わない宗教や国がある(※私は違います)
多くの国や文化で誕生日が祝われています。
ただ、中には誕生日を祝わない人たちがいるのも事実です。
具体的に言うと、イスラム教の一部やエホバの証人などが挙げられます。
また、モロッコ(都市部では変化しつつ有り)や戸籍がはっきりしない発展途上国では祝わないそうです。
私は、宗教の理由ではありませんが、知識として知っておいても損はないかと思います。
まとめ
今回は、誕生日に関する私の考えを話していきました!
だらだらと誕生日に対する持論を話しては来ましたが、別に理解してもらいたいとは思っていません。
ただ、もし同じような考えで悩んでいる人がいたら、この記事にたどり着いてほしいという願いから話しました!
ましてや私は教師なので、子どもたちの誕生日にはおめでとう!といい、誕生会も開きます。
こんなマイノリティの意見を押し付け、子供や保護者、同僚との関係性も悪化させたくはないです(笑)
ただ、この先の長い教員生活での生徒指導の観点からすると「マイノリティを救えるのは、マイノリティだ」と考えるので自分の考えも大事にしていきたいです!
最後まで読んでいただきありがとうございました!良かったら、スキ、コメントよろしくお願いします!
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