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何も返せていないのに(島の贈与経済)

海士町では数年前からJICAの青年海外協力隊の派遣前研修を行っています。研修生は「グローカル研修生」と呼ばれ、離島で生活するだけでなく、国際的(グローバル)な視点を持ちながら地域(ローカル)の課題解決に取り組みます。
先日、3ヶ月の研修を終えたグローカル研修生の成果報告がありました。5人の研修生の発表に共通していたのは、受け入れてくれた地域の人々への感謝の言葉でした。
ある女性研修生は、自分達を受け入れてくれた集落の住民が、バーベキューなど色んなイベントに招待してくれたり、魚介類などのお裾分けをしてくれたことに感謝の言葉を伝えていました。最後に「何も返せていないのに」と言葉を詰まらせながら

若者の還流に取り組む海士町には、グローカル研修生だけでなく、大人の島留学生、高校の島留学生など、10〜20代の若者が毎年200人近く、島外からやってきます。視察では「海士町がこれだけ多くの若者を惹きつける魅力は何ですか?」と聞かれることが多いです。
その要因はたくさんありますが、その一つに「お裾分け文化」「おもてなし文化」があると考えています。
私自身、9年前に海士町に住み始めた当初は、地域の人から無償で何かをしてもらったり、何かをもらったりしたときは、その人に何かを返さないといけないと感じていました。貨幣経済が身に染みている当時の自分は、何かをもらったら、その人に何かを返さないといけないと思い込んでいました。
けれど、それは「物々交換の経済」であり、「貨幣経済」の延長でしかありません。3か月で島を去っていく若者に、地域の人は何か見返りを求めているわけではありません。
見返りを求めないおもてなしやお裾分け文化こそが海士町の魅力であり、私はこれを「島の贈与経済」だと捉えています。「貨幣経済」が当たり前の都会で育ってきた若者にとって、見返りを求めない「島の贈与経済」に触れるのは新鮮な驚きであり、それが「何も返せていないのに」という言葉として表れたのだと思います。
おもてなしやお裾分けをする人は見返りを期待していません。一方で、もらった人は何かを返したいと思います。そして、その対象は、何かをしてくれたその人であったり、別の人だったり、地域全体に対してだったりします。

先日、『世界は贈与でできている』という本を読みました。そこには、贈与はまずは受け取ることから始まること、何かをしてくれた人だけでなく違う人への恩送りも含まれることが書かれており、私が海士町で感じたことを言語化してくれていました。
若者が感じる海士町の魅力の一つとして、「何も返せていないのに」という言葉が自然と出てくるように、見返りを求めないおもてなしやお裾分けの文化があって、それを地元の人達から受け取った移住者が、新しい移住者や地域に対して恩送りをしていることで「島の贈与経済」が広がっていることだと思っています。

『世界は贈与でできている』(近内悠太著)



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