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3歳から父親にオートレース場に連れて行かれて車券を買わされ、パチンコ屋で代打ちをさせられた僕がそこから学んだ事

僕の父親は、アル中でDVのギャンブル狂でどうしようもない人でした。

普通の家庭でお父さんが子どもと遊んでくれるような事は一切してもらった事が無く、常に仕事の後は朝まで飲み歩いて明け方帰ってくるような人で普段はあまり会う事がありませんでしたが、休みの日には僕が3歳の頃から僕をオートレース場に連れて行って、自分はレースを見ながらビールを飲んで、僕に金を渡して車券(どのバイクが勝つか賭ける券)を買いに行かせていました。

幼稚園児が窓口で「すみません。サブロク(3-6の事)2000円!」とか言って券を買ってるのです。今想像しても切なくなります。今は流石に子ども一人で行っても売ってくれないと思いますが、40年前にはこういう事ができました。

僕は自分だけ子どもなのにこんな事をしていて、大人に近づけたような優越感を感じて満更でも無かったですし、オートレース場では父親の機嫌が良い時が多く、遊んでもらっている気になっていました。

同じようにパチンコ屋にも連れて行かれて代打ちをさせられました。父は2台同時に打ちたかったので、僕に1台やらせたのです。これも僕はゲームをさせてくれていると思っていたので、満更でもありませんでした。

時々家から500mくらい離れたタバコ屋にタバコを買いに行かされる事でさえ、お父さんが自分を頼ってくれているという感覚でやっていました。

ところが小学生になったある日、僕は突然気が付くのです。

僕はお父さんのパシリをさせられていたのだと。


時々酔って殴られたりして辛い事も沢山あったけど、友達のお父さんがキャッチボールや双六を一緒にやってくれているのと同じように、僕のお父さんは僕をオートレースやパチンコに連れて行ってくれていると思っていた幻想が崩れ落ち、僕は父親を恨むようになりました。虐待を認識した瞬間です。


教育虐待も同じような背景があります。気が付かない間に親によって義務化させられていた勉強が、実は親が自分が良い親だ、すごい親だと褒められたいが為に、子どもに勉強をさせて良い成績を取らせていたのだと感じてしまうと、親子の関係にヒビが入ります。ちなみに僕は小学生の時、中卒で板前になって学歴コンプレックスがあった父親にテストが100点じゃないと殴られ正座させられていました。


さて、このようなクソみたいな幼少期から僕が何を学んだのかをお話します。

僕は中学高校くらいになると、自分の人生について深く考えるようになりました。そして、父親がまともに僕と遊んでくれたりしていたら、もうちょっと斜に構えずに人生を楽しめていたのでは無いかと思っていました。当時の僕は自己肯定感が低く、世の中に対して捻くれた見方しかできない子どもでした。

そんな僕も、青春時代に友達ができて、恋をして、そして大人になって結婚して親になりました。自分が親と遊んでもらえなくて嫌だったし、ずっと遊んで欲しいと思っていたので、我が子とは沢山遊ぼうと思っていました。でも一人っ子で、なおかつ親と遊んだ記憶が無い僕は子どもとどう遊んで良いかわかりませんでした。

ここまで読んで、母親はどうしてたんだと思うと思いますが、母親は僕を産んだ事で元々悪かった腎臓を悪化させて2日1回半日かけて人工透析をしなければいけなくて、更に家に一切お金を入れない父親の代わりに働いて生活費を稼いでいたので、僕と遊べる時間はありませんでした。

子どもとの遊び方がわからない僕でしたが、手探りで子どもになったつもりで赤ん坊だった息子の隣に寝てみて、同じ目線から何が見えるか見てみたりして、もし自分が世の中の事を何にも知らないとしたら、どんな事をしたら楽しいか考えて、目が見えてきた生後3ヵ月くらいから、まだ寝返りも打てない息子の目の前に人形やぬいぐるみが飛んでいく遊びを思いつきました。初めて息子がキャッと笑った時の喜びは今でも覚えています。

それ以降は、常に子どもがどうしたら喜ぶのか考えて試行錯誤の毎日でした。幸運だったのは僕が親と遊んだ経験が無かった事で、自分は親子での遊び方を何も知らないという意味では、生まれたばかりの息子と同じだという気持ちになれた事です。ここが1つの分岐点だったと思います。もしかしたら、僕は親に遊んでもらえなかったから遊び方なんてわからないと子どもとの関わりを放棄していた未来もあったのかもしれません。

僕はできるだけ子どもとも対等でいようと気を付けています。息子が2歳の時に、テレビでやっていた三崎マグロの特集を見て、三浦半島に旅行に行ってマグロが食べたいと思いました。息子にそれを言ったら「行きたくない」と言われてしまいました。そこでどうしたら息子が行きたくなるか考えて、色々調べて乗馬ができる場所があったり、地面から噴水が出てきて走り回れる所があるのを調べて、まずは僕が馬になって息子を乗せて散々楽しませてから、本物の馬に乗れる場所を見つけたから一緒に行かないか?とプレゼンをしたら「行きたい」と言ってくれました。親が子どもにやらせたい事があるのなら、子どもがそれをやりたくなるように試行錯誤するという子育てのスタイルが確立されました。


親から虐待を受けてきて、どう子育てをしていったら良いかわからない方の参考になれば嬉しいです。DNAの負の連鎖は必ず断ち切ることができます。


ちなみに、父親はもう13年前に亡くなっています。最終的には和解できました。詳しくは私小説『アイアムアファーザー』に書いてあるので、気になる方は読んでみてください。

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全ての子ども達が毎日ワクワクしながら人生を歩める世界を本気で願う人⭐高橋正彦
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