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【紅茶編】No.7 11月1日は“紅茶の日”


11月1日とは

そう、《紅茶の日》‼

なぜそうなったのか?
おそらく、諸説あると思うのですが、
私が知っているお話をしましょう。

大黒屋光太夫

井上靖の長編小説『おろしや国酔夢譚』に出てくる主人公の名前。
1992年公開された、日本映画です。
これは、大黒屋光太夫をはじめとする、漂流した神昌丸の乗組員17人の
運命を、日露の漂流史を背景に描き出した歴史小説です。

そして、その中で『女帝エカチェリーナ2世に、
日本人として初めて、紅茶をごちそうになり飲んだ日』
と言われています。

≪あらすじ≫
天明2年12月(1783年1月)、伊勢を出発し、光太夫ら17人
(船頭の大黒屋光太夫、作次郎、次郎兵衛、安五郎、清七、長次郎
藤助、与惣松、勘太郎、九右衛門、幾八、藤蔵、市蔵、小市、新蔵
庄蔵、磯吉)
を、乗せた「神昌丸」は、江戸に向かう途中に嵐にあい、
舵を失って漂流中に一人を失いながらも、8か月の漂流後に
当時、ロシア帝国の属領だったアムチトカ島に漂着。
この島で、7人の仲間が次々と死んでいくが、残った9人は
現地のロシア人の言葉やアムチトカ原住民の言葉を習得しながら
帰国の道を模索する。
漂着から4年後、古材を集めて船を作り、カムチャッカ半島の
ニジネカムチャックへ向かう。しかし、島とは比較にならない
厳しい冬将軍で、さらに3人を失う。
残った6人は、現地政庁の役人たちと共に、オホーツクから
ヤクーツク経由でレナ川沿いにイルクーツクへと向かうが、
一人が、重い凍傷で片足を失い帰国が不可能と悟りロシアに帰化する。
さらに、一人が病死する。
この地の政庁に帰国願いを出しても届かないことに業を煮やした
光太夫は、当地に住んでいたスウエーデン系フィンランド人の
博物学者キリル・ラックスマンの助けを借り、
彼とともに、漂着民としては一人で、女帝エカチェリーナ2世に
帰国願をだすため、ロシアの西の端の帝都ペテルブルグに向かった。
数か月後、「夏の宮殿」でいよいよ女帝への謁見が決定した。

おろしや国酔夢譚:KADOKAWA
Wikipedia

紅茶は歴史の中に

この話のほかにも、紅茶は
歴史の様々な場面で登場します。

有名なのは『ボストン茶会事件』
当時茶葉はとても高価なもの。
そして『アヘン戦争』にも関わりが。

『ティークリッパー』とよばれる高速帆船。
貴婦人とよばれた『カティーサーク号』の沈没にも。

なんとも奥深いお茶の話となりそうです。
秋の夜長には、ぴったりなのかもしれませんね。
はなしのつづきは、また・・・・

ススキ

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てんみ堂☆ゆうこ
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