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ショッピングモールで見つけた、私の宝物
ショッピングモールとかアウトレットモールなど、たくさんのお店が軒を連ねている場所が好きだ。
その理由はおそらく、私が小学生の頃の記憶にある。
私が生まれ育ったところは、四方を山で囲まれた、まんが日本昔ばなしに出てくるような、ポツンと一軒家があるような、典型的な田舎だった。
お店といえば、すべて個人商店。
八百屋とか駄菓子屋とか薬局とか。
その頃はコンビニはもちろん、マクドナルドもケンタッキーも、スタバもドトールも、吉野家やミスドだってなかった。
学校から帰ったら、釣り竿を抱えて近所の川へ釣りに行くか、あるいは家でテレビを観たり、マンガを読んだり。それが当たり前の日常であり、そんな当たり前の中で私は毎日を生きていた。
しかし、半年に一度ぐらいの頻度で家族で出かける場所があった。それは車で一時間半ほどのところにあるユニー。東海地方の方以外にはほぼ馴染みのない総合スーパーである。
ユニーにはスーパーや服屋さんやおもちゃ屋さん、そしてゲームコーナーなど、地元ではお目にかかれないようなお店や施設がひしめき合うようにして並んでいて、その前をたくさんの人が行き交っていた。
山と川しかないような地元しか知らない小学生の私からすれば、ユニーのその華やかさと人の多さは、まるでお祭りのようであり、並んでいるお店はさながら夜店のようだった。
ただ、ユニーに行ったからといって必ずしも毎回何か欲しいモノを買ってもらえるわけではない。けれど、私はその光景に目を輝かせ、その雰囲気にときめいた。両親も少し気分が高揚しているような気がして、それもなんか嬉しかった。
家族でユニーに行っていた頃の父や母の年齢を超えた今も、私がショッピングモールやアウトレットモールなどへ行くのが好きなのは、私が変わることなく田舎マインドのようなものを持ち続けているからかもしれないし、あるいは家族がとても幸せだった頃のその記憶を思い出すからかもしれない。
ただ、そんなノスタルジーとは裏腹に、セール品や掘り出し物などの「お宝」を見つけた時はやはりテンションが上がる。
宝探しをする探検家さながら、先日とあるアウトレットモールに行ったとき、私は自分が「カタチのない宝」を探していることに気づいた。
その宝とは、名も知らぬ誰かの「思い出」が生まれる瞬間や、その欠片たち。その日その場所で、誰かの思い出になるであろう出来事に遭遇することだ。
私にとってのショッピングモールやアウトレットは、近所でなければ数か月に一度とか、あるいは数年に一度、もしかしたら二度と来ないであろう場所もある。
その日そこで行き交う人々、すれ違う人とはおそらく二度と会うことはない。家族連れだったり、カップルだったり、あるいは友達同士だったり、一人で来ていたり。
その人たちの行動を見たり、会話を聞いたりしていると、そこには誰とも違う世界や日常が存在していることを思い知る。幸せそうな家族のそばで、険悪な雰囲気を漂わせているカップルがいたりする。そこにしかない人々の生の営みを見ていると、当たり前だけれど「みんな、生きてるんだな」としみじみ思う。
映画や小説のような派手な出来事は起こらなくても、そこには確実に人間の営みの「ドラマ」がある。
私にとってのショッピングモールやアウトレットモールは、そんな「宝」の溢れた場所だったのだ。
もちろん、誰もがそこで起きた出来事や交わした会話をいつまでも覚えているわけではないし、まして思い出になるとは限らない。けれど、小学生だった頃の私のように、何年も何十年も記憶に残り続ける何かが、そこで生まれるかもしれない。
そしてそれが、その人にとって大切な「思い出」だとわかるのはきっと、何年も何十年も経った時だろう。いまの私のように。
思い出という名の宝は、まるで化石や遺跡のように、思いがけずふいに現れるものなのかもしれない。
時は流れ、いろんなものはそのカタチを変えてゆく。家族のカタチも、人の心も。
楽しいことや悲しいこと、生きているかぎり、さまざまな記憶が日々どんどん増えていく。
人間は悲しいことや辛いことのほうが記憶として残りやすいというのを聞いたことがある。正直、私自身もそう思う。忘れてしまいたいことはたくさんある。
でもだからこそ、悲しい記憶や辛い記憶を少しでも癒せるよう、日々ほんの少しずつでも、それらを楽しく嬉しい記憶で上書き出来たらいいなと思う。
小学生の頃、たまに母が少し都会へ行った時に買ってきてくれるドラえもんの最新刊を読むのが楽しみだった。
ドラえもんにはいろんなひみつ道具が登場する。そして時代とともに、そうした「未来の道具」が現実に登場し始めている。
私がいま、ドラえもんにひみつ道具を頼むなら「悲しく辛い記憶だけを消す消しゴム」がいい。その消しゴムを持って、出会う人すべて、片っ端からみんなの悲しい記憶や辛い記憶を消して歩けたら……まだ家族みんなが一緒に住んでいたあの頃、ドラえもんを読みながら、小学生の私も日々そんなことを考えていたことを、ふと思い出した。
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