アンモナイトの目覚め
去年の9月にGuardianの記事を読んでから公開を待っていた映画。公開直後に緊急事態宣言が発令され、制限が緩和されてから平日のみの公開となり急いで観に出かけた。
『燃ゆる女の肖像』を思い起こす映画。
公式サイトやチラシの
見つけて、泥の中の私を
は、観終わってすぐは、シアーシャ・ローナン演じるシャーロットが、ケイト・ウィンスレット演じるメアリーに投げかけた言葉のように感じたのは、終盤にメアリーに助けを求める言葉があるからで、
しかし今はいや、両方なのだろうと。
自分を助けてくれる、力をくれる、受け止めてくれる、認めてくれる、そんな人にはそばにいてほしい。私を救ってほしい。抱きしめてほしい。
しかし、常にその人がいないといけない状態になるとそれはしんどい。
その人がいない状態で、自分で立てる、やっていける、自分で自分を助け、力を与え、受け止め、認める。救う、抱きしめる。
自分のご機嫌は自分で取る。人に取ってもらってはいけない。人がいないとご機嫌でいられないようではいけない。
最後のシーンでそういうことを感じた。
その分、メアリーは成熟して大人なのだが、だから孤独もある。
大人とはそういうものなのだろう。