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東海道行脚 岡崎〜豊明

昨日の岡崎エリア行脚を終え、体は疲れているが、睡眠はしっかり取れた。

午前九時過ぎ。
起きて豊明に向けて、出発の準備。

一階に降りて、フロントにルームカードを置こうとすると、昨日チェックインした時に対応してくれた女性だった。

チェックインとチェックアウトが同じ人って、私が泊まるような安ホテルでは、なかなかない。

その人からチェックインの時に、「どこから来られたんですか?」と聞かれたので、東海道をずっと歩いている、と答えると、すごく表情を明るくして、心地よく対応をしてくださった。

単なるマニュアル的な会話でない、相手を人として接して、表情でも語って、それでいて余計な話題に触れない適切な対応に、心からうれしくなった。

朝、チェックアウトする時に、その人だったので嬉しくなって突然口から「お世話になりました、行ってきます。」と言葉が出てきた。

ユースホステルじゃない、今どきのビジネスホテルで、「行ってきます」とは言ないだろう。

フロントの女性も一瞬ビックリして「あっ」と声が詰まったが、明るい声で「行ってらっしゃいませ」と答えてくれた。

その人とは、もう二度と会うことはないだろうけど、清々しい出会いになった。

一期一会ってこういうことじゃないか、と思いながら、東海道ルートに戻る。

「あっ、そうか、『立つ鳥跡を濁さず』ってこういうことか」と、気がついた。

この言葉は、旅立つ人間は、いた場所を綺麗に片付けてから旅立て、という意味だと思っていた。

しかし、一期一会の気持ちで、相手の人に、清々しい余韻を残して旅立つ(旅立とうとする気持ちの)ことなんじゃないかと思った。ゴミゴミした感情を相手に残さずに。

人生の終わりも、そうでありたい。

さて、昨日歩き終えた東海道の地点に着いた。

昨日の投稿でも書いたように、岡崎城の周りは、今まで経験したことがないほどに、東海道のルートがギザギザしている。

そのルートをフォローするには、ひたすらグーグルマップを見て歩くしかなく、なんか変だ。

早く終わらないかと、ひたすらスマホの画面を見て歩いていた。終わりが近づいて来た。

しかし、最後の最後で、ルートが分からなくなった。

時々道にある標識もなく、東京からずっと旧東海道のほとんどの細かいルートも表示してくれたグーグルマップも、そこだけは表示がない。

困って、昨日偶然撮っておいた写真を見て、どうにかトレースできた。八丁味噌の蔵が密集しているエリアだった。

一番左の松葉通りと書いてある部分

まるで酒蔵が集まっているかのような趣のあるエリア。

こういう所に出会えるから、街道旅は嬉しいんだよな、と思いながらのんびり歩く。少しずつ、リラックスしてきて、旅の気持ちになってくる。

このエリアは積み重ねてきた歴史のオーラがすごい。

ふと左手を見ると、一瞬で「あれっ、見たことあるぞ」という建物が。

イントロクイズみたいですね。分かりますか?
正解はこちら。

NHK朝の連ドラ、宮﨑あおいさん主演の純情きらりの舞台になった蔵。

素敵でした。

ドラマを思い出します、
見事です

このエリアを抜けると川をわたり、今度は飽きるくらいに、真っ直ぐな道に変わる。

ひたすら歩いていると、毎度のことながら足首の痛みが増してきた。履いていたウォーキングシューズもかなりヘタってきて、これが最後の旅になる。

あと1時間程で、目的地に着く。

旧東海道が国道1号線に吸収される。

今日は、イヤホンで音楽を聞かないようにしていたが、聞くことにした。

音楽は、足首の痛みを少し忘れるモルヒネである。

前回聞きかけの曲が終わり、次の曲が流れ出した。

温かいグランドピアノのゆったりした音から始まる。

まだ、なんの曲が分からない。

自分の従兄弟が住んでいた町の駅が、今回のゴールだ。歩きながら、当時のことを思い出す。

自分が子供の頃の記憶の国道と、あまり変わらない場所が出てきた。

太陽は、左側斜め上から私の身体を温めてくれている。

夕方の新年の太陽の温かさは、まるで小さい頃に足が弱い私を背負ってくれた母親の背中のような温かさだ。

ピアノのイントロが終わり、歌が始まった。

♪この道はいつか来た道
 ああ そうだよ
 あかしやの花が咲いている

木管楽器のような鈴木重子さんの声で、優しく静かに歌しだした。

早くして亡くなってしまった、この豊明に住んでいた叔母が、まるで空から歌っているかのように聞こえた。声も顔も似ている気がしてくる。

自分は、ここでこの曲を聞くために呼ばれて、今日は歩いて来たんじゃないだろうか、そして、これで、今回の旅を終えることができる気がした。

国道1号線を歩きながも、時々旧道が現れて、そちらに移る。

何気ない家の、駐車場に猫が一匹たたずんでいた。

温かいのだろう。

カメラを向けても、微動だにしない。

何気なく写真を撮る。

一人芝居のエンディングみたいだ。
みんなこの一瞬を生きている。

そして、ゴール。

自分が東海道を歩くことは、早くして亡くなった叔父叔母の供養になっただろうか。

そこから名鉄に乗って名古屋へ。

想像よりも大きくて元気な名古屋の、鳥メロで軽く酒を飲み、乗車率ほぼ100%のこだまに乗り込んだ。

明日からまた私は、天ぷら屋という街道を歩く。

歯が折れたから、歯医者の予約もしないとなぁ。

ご清聴ありがとうございました。