カミーユ・サン=サーンス作曲「物憂げなワルツOp.120」の分析
20世紀前半のフランスのピアニストであり、「フランスピアノ音楽」の著者でもあるアルフレッド・コルトーによると、サン=サーンスのピアノ音楽では、しばしば、形式の緻密さや形式の完璧性が特徴として挙げられます。それがどれほどのものであるか、今回はその特徴が非常によく表れている具体的な作品を挙げて解説したいと思います。
「サン=サーンスらしさ」が表れたピアノ作品
今回紹介したいのは、サン=サーンスの1903年のピアノ作品である「Valse Langoureuse(物憂げなワルツ)Op.120」です。年代としては、徐々に近代音楽の作風が見られ始めた時期ですが、保守的であったサン=サーンスの作品らしく、作品全体を通じて古典的な音楽語法に基づいたロマン派の作風の小作品です。YouTubeに楽譜付きで音源が上がっていますので気になる人はご覧ください。
この作品は、小節数が321小節、演奏時間は4分40秒程度の作品です。ホモフォニックなつくりで旋律部も伴走部も音数も少なく非常にシンプルな小品です。
そのような作品でありながらも今回あえて紹介したいのは、この曲の非常に緻密かつ厳密に構成された形式の存在が、サン=サーンスを説明するのにとても好適だからです。「即興曲」とは対極に位置する曲であり、主題やモチーフの展開が非常に考え込まれています。
「物憂げなワルツOp.120」の形式
最初にこの曲の全体構造を示すと次のような図になります。
正直、私の生半可な知識ではどのように形式を解釈したらよいのか自信がないのですが、いったん「複合二部形式」と解釈しました。
ちなみに、もう1つ違う解釈できなくもありません。この曲の「顔」となるのが主題Bなのですが、その前に入る主題Aは「Bへの助走」として一旦無視したうえでこの主題Bに着目してみてると、実は次のように解釈することも不可能ではないかと思います。
このABACABAの分け方は「大ロンド形式」といいます。もちろん、複数登場するAそれぞれは異なりますし、最初のBと後半のBも異なります。さらに、上記のCの部分がそれ単体で大きな楽節を持たないこともあって、耳が受ける印象としては、三部形式やロンド形式には聞こえないという印象があります。なので、冒頭に触れたように私は二部形式と判断しています。
楽曲の分析
実際に、この曲を主要な部分だけかいつまんで見ていきましょう。まず以下の図に示すのが、前半部と後半部の冒頭に1回だけ出てくる「主題A」です。
ここでは、4小節目から始まる左手の伴奏がVの和音(B7)から始まっており譜例の最後ではⅠの和音の第二転回系で終止しています。曲の冒頭がIの和音から始まらないのは、ロマン派音楽でよく見られる特徴です。
次に続くのがこの曲中に何度も現れ、まさにこの曲の顔とも言える「主題B」です。以下の譜例では調号ではホ長調ですが、実質的に嬰ト短調に転調しています。和声は非常に古典的で旋律も単純明快ですが、聞き心地の良い旋律だと思います。
主題Bのあとは、エンハーモニック転調によって、嬰ト短調からかなり遠い調のハ長調に転調しています。ここは音の厚みが薄い単旋律にシンプルな左手の分散和音からなっています。
③パートの次に、この④パートも非常に音の数が少ないシンプルな作りとなっています。この④パートのモチーフは、最初の全体図にも示したように最後の⑨の部分で再度使用され、そこでは音の厚みや迫力などが増しています。
この曲において、よく現れるモチーフは上に挙げた3種類ですが、中でも主題Bは何度も繰り返し出現しつつも、調性や伴奏のパターン、音の厚み、演奏する声部など常に変化させることで、単純な繰り返しを避けています。
前半の第1部では、旋律や伴奏ともに非常に穏やかで抑揚がなく、淡々と曲が進むのに対して、第2部では、第1部で使用したモチーフが異なる調性で力強く再現され、曲中において大きな起伏を生み出しているところに工夫が施されています。
曲の中で、最初に登場した素材を発展させ、それによって曲の変化をつけ、形式にのっとりながらドラマティックに仕上げる。10数分の曲であれば細かくパートを分割できるのならわかりますが、せいぜい4~5分の曲の中で、これだけ細かく分けられる点は、すごく形式を重んじたサン=サーンスらしいと感じています。
最初の全体像で示したように、⑥とコーダに当たる⑪を除くほとんどの部分は、この細かく分けられたパズルに組み込まれており、形式内に組み込まれていない楽節はほとんどありません。
さらに自由な楽節である⑥の部分でさえ、そのフレーズはかすかに③を素材にしているように聞こえるため、これも形式に組み込まれていると言ってもよいかもしれません。
深みはないが聞きやすい音楽
一度表れたモチーフをうまく展開するという意味で、お手本のような楽曲ではありますが、この曲自体、目新しさという意味では特筆するところは少ないかと思います。全体としては、優雅ではありますが、シンプルな旋律とシンプルな伴走による単純なホモフォニックな作りで、楽節を意識したわかりやすいフレーズになっており、深遠さはあまりありません。
転調もエンハーモニック転調の手法を生かした嬰ト短調→ハ長調への遠隔調への転調や、半音下に下がる転調もありますが、それ以外はほとんど主調と平行調間の転調か、主調と属調間(もしくはその平行調)への転調になっており、しかもそれは1つのフレーズ内ではほとんど起こらず、フレーズとフレーズ)の変わり目でわかりやすく起こります。
ただ、最初に触れたように、形式を意識したうえでの展開の仕方に緻密な設計が垣間見られるところが興味深く、今回紹介してみました。確かにインパクトにはかけますが、聞きやすくキャッチーな旋律は聴く人の耳に自然と入ってきて聞き心地の良いものだと思いますし、実際に私も好きな曲なので、いまもよく聞いています。