エリック・サティ作曲「ジムノペディ第1番」楽曲分析
フランス音楽史上、いやクラシック音楽史上もっともひねくれていて独創的な作曲家といっても過言でないエリック・サティ(1866-1925年)の中で、もっとも有名な曲の1つが「ジムノペディ第1番」です。おそらくご存じの方も多いでしょう。この非常に魅力的な楽曲を音楽学的な観点から分析していきたいと思います。
誰もが一度は聞いたことがある「ジムノペディ第1番」とは?
「Gymnopédies(ジムノペディ)」は1888年にフランスの作曲家であるエリック・サティによって作曲されたピアノ作品です。
「エリック・サティ」という作曲家は知らなくても、また「ジムノペディ」という曲名だと知らなくてもどこかで一度は耳にしたことがあるかもしれません。それくらい有名なクラシックのピアノ作品の1つです。
このジムノペディは1888年の作品で、最初の作品であると思われる1884年のアレグロから数えておそらく6つ目の作品にあたります(諸説あり)。つまり、サティの初期の作品にあたるものです。
ジムノペディは第1番から第3番まであり、第1番のみが有名になり今日まで知られています。この作品に限らず、サティは1つの作曲のアイデアを思いつくと3曲セットにすることが多く、このほかにも「3つのグノシェンヌ」「3つのサラバンド」などの作品があります。
3つのジムノペディの曲名の由来としては、古代ギリシャに存在していた都市国家である「スパルタ」に「Gymnopedia」という祭典があり、サティはその様子を描いた壺にインスピレーションを受けて作曲したという説があります。
なお、サティは誰の真似もせず、流行っているものをすぐに捨てて常に新しいものを追い求めようとするスタイルであったため、ジムノペディ作曲以降、このような雰囲気の作品は他にほとんど作曲されませんでした。ちょうどこの頃はドビュッシーの人気が高まり、印象派の音楽が流行していた頃です。おそらくサティはその波に巻き込まれないようにと考えたのでしょう
和声進行からジムノペディ第1番を分析する
それでは、この有名なジムノペディア第1番がどのような特徴があるのか楽譜を通して見ていきましょう。
まず、この曲の調号を見ると、シャープ2つであるため、曲全体としてはニ長調かロ短調に近い雰囲気がでています。サティの音楽は「形式」の型に当てはめられない作品ばかりですが、この曲では非常にわかりやすくABAB'の2部形式になっています。まずはこのうち“A”の部分から見ていきます。
1小節目~21小節目
次の譜例は旋律の冒頭から5小節目出だしの2小節です。便宜上和声はコードネームでふりました。
4分音符でつないでいく一本の薄い線による右手の旋律と左手の伴奏からなる典型的なホモフォニーの音楽です。曲全体を通してこのパターンをほとんど変えることなく進んでいくのがこの曲の特徴です。旋律の線はほとんど4分音符で結ばれ、ジムノペディ第1番だけでなく、第2番、第3番を含め、8分音符は一度も現れません。
この曲の楽譜を初めて見た人はそのシンプルさに驚くでしょう。限りなく単純化され、さらい変化もなく途中にドラマもなく進んでいくのがこのジムノペディです。
そんな単純な音楽でありながら、この曲を魅力的にしている最大のポイントが冒頭の和声進行です。上の譜例ではコード名でふりましたが、最初はGM7→DM7のたった2つの響きによる和声進行が8回も繰り返されます。
このM7のコードはかなり不吉のようですが、しゃれた響きを醸し出す和音で、現代の音楽でも非常に多用されます。かの有名なドビュッシーはジムノペディを聞いて感動したと言われていますが、実際にドビュッシーはM7に限らずセブンスコードを連続させる手法を自身の楽曲に多く取り入れています。
この部分は、7度音程を連続させることを非常に好んだドビュッシーの好みのツボを完全につくものだと思われますが、もしかしたらジムノペディの影響を受けたことで7度音程の多用を始めた可能性もあるでしょう。
ちなみのこのニ長調・ロ短調のどっちともいえないような雰囲気のあとには、F#mとBmのコードが出てくるので、どちらかといえばロ短調的な雰囲気が感じられます。
22小節目~39小節目
22小節からはABAB’の形式の中のBの部分が始まります。ここは、調号上はシャープがついたままですが、最初の10小節はファとドのシャープはなくなり実質的に一時的な転調がなされています。
この22~39小節目(以下、「Bパート」と記載)には、ジムノペディにおけるもう1つの大きな音楽的特徴が隠されています。
シャープがついていないため、「調号上」では一見するとハ長調かイ短調に思うかもしれません。しかし私の考えでは、ここは「教会旋法」が用いられていると考えています。
上記の譜例が示す22小節からは、「調号的にはイ短調」の音の中で低音のレの音が支配的になっていることを考えると、ここは教会旋法の1つである「ドリア旋法」(あるいは「ヒポドリア旋法」)であると考えられます。
教会旋法とは何かを説明すると長くなるのでここでは省略しますが、「長調」「短調」という概念が現れる以前に教会音楽の中で使用されてきた音階、という認識でよいでしょう。教会旋法にはいくつか種類がありますが、ドリア旋法とは以下の音階を指します。
調号がないので「イ短調やハ長調と何が違うのか?」と思うかもしれません。ポイントは「終止音」です。例えばハ長調はドの音で終止しますが、ドリア旋法ではレの音で終止します。
Bパートには22小節目から4小節でひとまとまりの楽節が2つあります。ここでは両方ともレの音で終止していることからドリア旋法の雰囲気が全体を包んでいると解釈できるでしょう。
しかし、32小節目からはコードでみるとEm、F#m、Bm、A、F#mと続くように一時的にロ短調またはニ長調の雰囲気が現れ、再び教会旋法的な要素は薄れていきます。このまま長調・短調の調性感でこのBパートで進むのかと思いきや、そうではありません。興味深いのはBパートの終止です(以下の譜例を参照)
このBパートの終止の和声はDのコードです。そう考えると、ここはニ長調であるようにも思うのですが、39小節目がAm7のコードとなっていることで「導音→主音」の響きを排除し、ニ長調の雰囲気を完全にかき消しています。代わりに醸成されるのは教会旋法の雰囲気です。
ちなみに上記のうち、38小節目から40小節目の終止までを切り取って見てみると音階は以下の和音で構成していることになります。また音階を構成するそれぞれが全音か半音かで結ばれているかを記述しました。
全音と半音の関係関係でいうと、この音階は以下と同一になります。以下は教会旋法の中で「ミクソリディア旋法」と呼ばれるものです。
つまりこのBパートをまとめると、冒頭はドリア旋法の独特な響きから始まり、途中で現在の音楽にも通じる長調・短調の調性感に移行することで、(現代人の我々からすると)安心した響きに戻ってくると思いきや、最後にミクソリディア旋法のような終止によってまた不思議な印象を与える形となっています。
まとめ
全体を通して、この曲の音楽的特徴をまとめると、この曲は出だしの和声が象徴するような7度音程の多用と、長調・短調どっちともつかないような旋法的な雰囲気が強く支配している曲といえるでしょう。
そのバランスとしては、教会旋法の使用は限定的であり、現代の一般的な音楽で聞かれるような短調の和声進行が多く見られ、一般人にも受け入れられやすい和声となっています。
もちろんこれらは音楽的分析による理屈上のものですが、何よりも、楽譜の冒頭に書かれているテンポの指示のところの、Lent et douloureux(ゆっくりと、悩ましく)という指示をいかにも体現するような曲の雰囲気がこの曲の最大の魅力でしょう。
1つずつぽつりぽつりと鳴らされる無駄のない旋律は装飾をはぎ取られたことによって、逆に旋律が強調され、あたかもそれは孤独、虚無感に悩んでいるかのような雰囲気を演出します。
以上、ここまでがジムノペディの1番の分析となります。
なおジムノペディの2番と3番は「おしゃれ」な雰囲気を醸し出すメジャーセブンスコードがあまり使用されていないために、1番みたいな魅力はないので、そんなに聞く価値はないかなというのが個人的な印象です。
また気が向いたら別の楽曲分析を書いてみたいと思います。