鳥取の「砂場」(2)―風に吹かれて
2018年8月7日15時、真夏の太陽の下、私は鳥取砂丘の第2砂丘列(馬の背)をひたすら登っていた。
「あの上には何があると思う?」「実は何もないんだけどね」「でも登ってみようか」などという、父親が子どもに語りかけていた何気ない言葉に触発されて、自分でも登ってみたくなったのだ。
当日の私の服装は、上が黒のタンクトップで、下が白のスカーチョ、その上に白のカーディガンを羽織っているというものだったが...
これはどう見ても砂丘に登るような格好ではない(どこかの遊牧民には見えるかもしれんが...)。
なんでパンツを履いてこなかったかというと... 砂丘に登る予定なんてなかったのさ。
ただ、なんか登らないと負けた感があるような気がしてしまったので、意地で登った。
で、第2砂丘列(馬の背)の頂上に立つと...
そこには風があった。スカーチョやカーディガンが激しい風によって横に流れる(冒頭の写真、動画で撮っておけばよかったと後悔...)。
砂丘列という盛り上がった地形のため遮るものがなく、その地形から星ではなく風が生まれていたのだ。
(何もないなんてこと、ないじゃん! こんな感覚、ここに来ないと感じられないよ。来てよかった!)
何をあると捉えるのかは主観的な問題で、結局何を見いだすのかということだ。私はそこで風を感じ、風の存在を見いだしたのだ。
(「幸せ 不幸せなんて いつも心の持ちようさ」なんて歌詞もあったけど、幸せや不幸せも、結局、状況から主観的に見いだすものだよね)
風に吹かれながら、私はさらに様々な歌詞を思い出す。
The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind
とか、この歌に触発されて書かれたと思われる
俺達の時代を忘れないで
風に吹かれていたあの頃を
http://www.alfee.com/disco/single/song.asp?SID=43&CID=
とかである。
どこかで風に吹かれ続けるということには、ある種の虚無感とともに、懐かしい過去を振り返る気持ちがあるように思う。
あの日、THE ALFEEを見つけたことを思い出した。
高見沢さんはよくコンサートのMCで
「僕らの歌を見つけてくれて、僕らのコンサートを選んできてくれてありがとう」
といった趣旨のことを言っている。でもTHE ALFEEの歌を見つけて、人生で嫌なこと、思い通りに行かないこともたくさんあるなかで救われたのは私の方だ。
偶然の出会いではあっても、これはある種のご縁であって、それによって人生を少しでもよい方向にもってくることのできた私は、彼らに感謝している。
ご縁というのは、人生の転機を作り出すものなので、やはり大切にすべきだと思う。
そんなことを考えながら、砂丘の上で風に吹かれていた真夏の午後...
Twitterでその様子を実況中継していたら、同僚の先生から「なぜこんな暑いときに砂丘(^_^;)」というリプが付いた。そりゃそうだろ、ふつうこの時期に来ないわなw 私って物好きなのかもしれない、てか、ただのあほ?