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アメリカへ移住したかった14歳が、33歳にしてアメリカへ行って気づいた事 No,2

マンハッタンで働くビザの無い彼らの実態はこうだ。

①週6日間勤務

②1日8時間労働(休憩なし 食事付き)

③原則決まった曜日が休める(その休みを回す為に犠牲になる人材が一人いる)

④制服支給

⑤保険などはない

上記内容で月の給料は・・・

約8万円。


どうだろう?

こんな仕事やりたいだろうか?

このお店は日本に持ってこようと言うくらいだ、とても繁盛している。

つまり、肉体的にとても厳しい環境下でこの内容でこの給料なのだ。

マンハッタンは東京で言えば港区みたいなもの、家賃はとても高い。

月8万では家賃も払えないので、ルームシェアと言う事になる。


一度彼らの家に遊びに行った事がある。

とても大きな団地の様なマンションで、世帯数がどのくらいなのかも想像できなかったが、3家族近い人数が同居していた。


どこか遠い憧れの地だったアメリカ。

実際に働いて見えて来た世界は、格差による奴隷社会だった。

この表現は大いに誤解を招くが、言ってしまえばそう言う事だった。


このお店のオーナーはとても人望のある方で、地域の知名度も非常に高く、お店のスタッフからもとても信頼されていた。

スタッフは皆年に一度1週間の休暇を取る事が許されていて、欠員が出た分みんなで頑張ろうと言うポジティブな空気も形成されていた。

オーナーは地域の飲食店をまとめて、大きな規模でパーティを行い収益を上げて、そのお金を寄付に回すと言う事にも取り組んでいた。

しかしこのパーティのチケットは200ドルもするものだった。


なんだろう、ずっともやもやしていた。

自分はいったい何に魅せられていたんだろう。

自分が憧れたアメリカとは、一体なんだったのだろう?

そんな風に考えるようになっていった。

刺激も沢山あったが、3年たった今でも私に残っている感覚は、アメリカに住むなんてあり得ない。

それだけである。


この経験からの答えは今もまだはっきりしていない。

人の数だけ幸せがあり、その形も様々。

何か見えたのだとしたらそれは

見えない何かを掴みに行くのではなく、見えるものをしっかり握れ。

どこかにあるはずの楽園など探さずに、今いるこの地こそが楽園なのだ。

そう気付かされたように思う。


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