デング熱にかかった件

@Caracas, Venezuela

【1日目】12/14
それが起こったのはそう、12月14日の夕方だ。
友人とZoomをしていた時に襲ってきた寒気と関節痛。
母は、「最近寒いから私も昨日関節が痛かったんだけど、
湯船に入ったたら治ったわ〜」なんて呑気な事を言った。
私「この痛みは絶対インフルエンザ系だよ。もしかしたら今夜熱出るかも。ってか寒くて関節痛になったことなんて人生で一度ないわ!」

案の定その日の夜、高熱はでた。
39.5度。

個人的には高熱は耐えられる。苦痛ではそこまでない。
なんか関節や腰も痛い。

【2日目】12/15
次の日に母の勧めでアセトアミノフェン、解熱剤を飲むことに。
そしたらなんと、ちょっと元気に。
なのでお風呂に入ったり髪の毛まで立って乾かして、
洗濯物までした。

夜になり、また体の痛みと高熱が始まる。
妹「もしかして、それってデンゲ(スペイン語でデング熱の事)
じゃない?」
私「なんでそう思うの?高熱なんて当たり前じゃん」
妹「最近大使館でデング熱のチラシがきて、ベネズエラで今めっちゃ流行ってるみたいだよ(作者 in Venezuelan ow) 。症状とか調べてみたら?」

ということで調べてみた。

デング熱は蚊から感染する。
国がしっかり対応していれば、撲滅できる病気らしいが、
ベネズエラ含め南米、東南アジアの数カ国で今現在発生している病気だ。

症状は38-40度の高熱に、関節痛、吐き気、げり、発疹・・・
ある国(どこだか忘れたか)では
痛みがひどいのでBreak-bone feverとも呼ばれるくらい
体の痛みが激しい。

あ、これデンゲかも。

そう、デング熱は、高熱に加えて、体の痛みがひどいのだ。
break bone feverとよばれるだけある!!!
しかも、デング熱は血小板の値が下がるので、アセトアミノフェンしか
飲んではいけない(イブプロフェンとかだめらしい)ので、
正しい薬をたまたま飲んでいた。

ってかこれデンゲだったら2、3週間ずっと病気だと聞いた。
私の心の声「まじ?!風邪は熱が2日で治るからいけるけど
そんな長く続くのやばくね!?」

ちなみにこの時点で私は高熱と関節痛のみだった。

最悪な事にデング熱と相性の悪い生理がこの日に始まる。
デング熱は血小板の値が下がり、出血しやすくなる性質があり、
出血が止まらなくなって死に至ることもあるのだ。

【3日目】12/16
母と私の共通の医者の友人に連絡をし、デング熱かもと言ったら、
医者「すぐに血液検査を!だけど、熱が薬で下がった時じゃないと
値がおかしくなるから、アセトアミノフェン飲んで熱が下がってから」

その日の夜、左右耳の後ろあたりから毎秒激しく殴られてると
思うような頭痛が発生。
頭では理解できなかったけど相当痛くて私は人生で初めて頭痛で泣いた。
何分かわからないけど30分くらい声を出して泣きながら私は寝た。

この日あたりから食欲が減っていき、フルーツを無理して食べる。

【4日目】12/17
今日も朝から頭が痛い。もはや頭痛が怖い。
どんどん頭痛がひどくなる。
15時頃、薬を飲む。
母が家に戻ってきたので血液検査しに行こうと思っていたが、
頭痛が一向に良くならない。
また私は1時間ほど頭痛で泣いていた。
私「さっき薬飲んだから、もう少ししたら治って病院行けると思う」
と泣きながら母に伝えたが、その後も一向によくならず
泣き続ける私もを見て母は友人の医者に電話したら、
その夜、医者が家に駆けつけてくれた。
さぞかし泣いてる娘に母もびっくりしたことであろう・・・

診療してもらい、血圧を測ってる時に気絶しそうになる。
体が痺れて、どんどん耳が遠くなっていく感じ。
その時の血圧は覚えてないが、とても低かった。

医者の指導で、舌の下に塩をひとつまみ置いて、
足を上にあげてしばらく寝た。
30分後に少し落ち着いたので、血液を採取してもらう。

ひどい頭痛だったので、一度だけと言って、イブプロフェンを飲む。
そしたら病気だったのが嘘のように元気になる。
その日からあまりにひどい頭痛だったので、
アセトアミノフェンを4時間に1回飲むよう指示される。
ただイブプロフェンは血小板の関係で出血しやすくなるそうなので禁止。
※解熱剤としてはアセトアミノフェンがいいが、
 痛み止めとしてはイブプロフェンの方が優秀

【5日目】12/18
血液検査の結果、血小板が186まで下がってた。

平均140-400とベネズエラの血液検査には書いてあったが、
150-190で低い、150以下が重症手前、
100以下が即入院というイメージっぽい
(血小板の値が低いと一度出血すると血が止まらなくなるから)

デング熱確定だ。
※血液検査の血小板が低いかどうかでデング熱を判断される

ただ、この日から薬漬けだったため、
頭痛や熱はあったものの、泣くほどではなくなり、
1日中ベットで寝たきり。起きるのはトイレのみ。

ただ、トイレに行く度にふらつき、
吐き気が出るようになり、長時間起きていることができなくなる。
食べ物は少量のフルーツ。

【6日目】12/19
スイカを3食食べた。
体の水分量が増えたおかげか
生理の出血量が過去に見たことがないほど多くびびる。
もしかしたらもっと飲み食いしていたら出血量が増えたかもしれないが、
その時ほぼ飲み食いできなかったため、違う意味で死にそうになるが、
出血多量だった場合は入院して本当に生死を彷徨うことになっていたため
不幸中の幸いだったのかもしれない。

昨日から吐き気を抑えていたが、この日は2回ほど吐いた。
というか吐き気を我慢をするのをやめた。
だが、私の胃は空っぽのため、出るのは水分のみで
しかも出すのにひどい嗚咽を何回かして一生懸命出さないといけない地獄。

【7日目】12/20 デング熱になってから1週間
トイレに行くたびにひどくなっていく吐き気とめまい。
もう食べ物も飲み物も喉を通らない。

夕方くらい、立ったら気絶しそうになる。
トイレにいけない。声も出ない、力もでない。
これはやばい。

夜、友人の医者が仕事終わりに来てくれるとのこと。
1.  電話が通じないこと1時間くらい。
2. 連絡とれ、車で親が迎えにいくが渋滞がひどすぎて友人のところに
     辿り着く前に家に引き返すの1時間半くらい。
3. 私、絶望。
もう立ち上がれなくなって、
トイレにいけなくなって、
大きい声が出せなくなって、
ご飯も飲み物ものめなくなって、
5時間以上経っている。
今日彼女が来なかったら私本当にどうなるんだろう。

と、どんどん乾燥して限界を迎える体を感じて焦る。

4.彼女が地下鉄乗り継いで途中から歩いて、母が車で迎えに行き
1時間後にうちにつく。

5.私、生命線が繋がった・・・!

6.ミネラルなど入った点滴を打つことに。
点滴をつるす良い塩梅のものがなく、
父が靴箱を運んでくる。(取手のところに点滴をひっかけた)
(医者がおどいているリアクションをしてくれたが、
心の中ではつっこみたかった。笑)

7.今度は医者が点滴の蓋が開けづらかったのか、
点滴に穴が空いて結構液体こぼれ落ちていく。

もともと1リットルの点滴で打つのは400のつもりだったみたいだが、
私は自分の状況を見て、なるべく多く打たないと死ぬと思ったので
なんとかならないかと伝えたら妹がうまく対処してくれ
なんとか点滴がこぼれ落ちるのを最小限に抑えた。
(それでもこぼれていた)

とても明るくて親切な友人医者は
「笑って!人生捨てたもんじゃないわよ!」
と何回も言われるが、一切笑えず。笑
私は喋るのもやっとだった。

点滴が終わる頃にはからからだった唇に少し潤いが増し、
医者の「ねえ笑って(古いモーニング娘風((意訳))」
に少し答えられるようになってた。

8.色々辛かったがなんでご飯が食べれなくなっていたのか判明。
胃腸炎になってたのだ。ずっとお腹がきゅうきゅうしてる気がする
と思っていたが、他のことが大変すぎて胃がやられている事に気づかず。
あんだけ薬飲んでたら胃腸炎にもなるわ・・・と納得。
胃腸炎にはプレーンのヨーグルトが良いとのことで
妹がすぐ買ってきてくれてヨーグルト三口だけ食べる。
(二口でギブ宣言したが、三口は半強制的に食べた)

8.いよいよトイレに行くことに!
たった瞬間吐き気に襲われたが、医者に
吐いてもいいから立ち上がれと言われ、
吐こうと思ったら、母がゲロ袋に私の顔を深く突っ込んで
ゲロ袋の中に入ってたゴミに鼻があたり、このままだと
私のゲロが顔に全部かかる!と思い
「お母さんやめて!」と叫ぶ。
母、苦笑。妹と医者、笑いをこらえる。
ゲロがリビングに飛び散ってほしくないのはわかるが
顔突っ込みすぎやろ!とツッコミたかった。

ゲロの味はさっき3口食べたヨーグルト。
(本当にその味しかしなく、いい味でよかった)

妹に肩を借りながらトイレに向かう。
実は1週間ぶりに昨日から大便がしたいと思っていたのだが、
吐き気とめまいがひどく、できてなかった。
頑張って大便をだして、お尻をふきおわる前に
めまいと痺れが出てきたので
トイレットペーパーをお尻にはさみ、
トイレも流さずトイレの前に倒れる。

妹がお尻ふいてあげようかと聞いてくれたが
(神!私だったら他人のケツはふきたくない!)
恥ずかしすぎてお断り。
1週間ぶり、デング熱、胃腸炎ボンバーで
普段ではありえない異常な臭さの私の
「大便だけ流してほしい」と妹に遺言・・・

倒れている私を見て医者は母に
「大丈夫、デング熱だからこうなっているだけで、
よくあることよ。
点滴もしたし良くなるはず」

と言って、夜遅かったため帰った。

【8日目】12/21
昨日医者が血液も取っていったのが、
血小板の値が117まで下がり、平均の140-400を切った。
医者「下がり続けたら入院しないといけなくなるから、
とにかく血小板をあげるものを食べるのよ!」
と厳しくなる。

ベネズエラでは、鳥の足?のスープとココナッツの中のジューズを
飲んで血小板を上げるらしいが、私はベジタリアン。
鳥の足のスープなんて食べたくない!
ということで、母が頑張ってくれる。
父はフレッシュココナッツジュースを入手してくれ、
母はなんとなく血に良さそうなものをたくさん作ってくれる。
ほうれん草や、パッションフルーツジュース(my favourite juice最高かよ)、
ナッツ系、ココナッツジュースなど。
(後ほど分かったが血小板でなく
当時必要のないヘモグロビンをあげるものもあった)

最終的に3日後くらいに血液検査するためにうちに来ると言っていたが、
3日後はクリスマスイブ!ということでちゃんと来ませんでした。笑

【9-13日目】12/22-26
その後3日くらいはトイレに行くたびに吐きそうになり、
やはり大便の後は拭き切る前にギブして倒れる。
だけど、トイレには行くことができるようになったのがありがたい。

食べ物に関してはかなり医者から脅されてたので、
食べたくなくても、時間をかけて、食べては横になりを繰り返し、
何度かに分けてご飯を少しずつ増やしていった。

私も入院したくない、早く良くなりたい一心で頑張った。

【14日目】12/27 デング熱になってから2週間
倒れてから6日がたち、少しずつ歩ける時間が増えてたため、
自分たちで血液検査に行こう!ということで車でGO。
母は足が痛く、私は弱っているので二人でフラフラしながら
少しずつ歩いた。

そしたら血小板が345まで上がっていた!!
(平均140-400で、前回117だった)
母が忍耐強く飲み食いさせてくれた賜物。
ついでにヘモグロビンもあがっており、
これ以上上がると頭痛がでるのでヘモグロビンは
避けてくれと言われ、その後、ほうれん草やナッツ、
パッションフルーツジュースを禁止される。笑

つまり、この日、めでたく脱デング熱になったのです。
もうウィルスは体には残っていない。
入院の危険性がなくなったということです。
熱がでてから2週間。長かかった・・・

ただ、戦いはここからも続く。

デング熱になる人はよくいう。
病気が治ってから回復まで数ヶ月かかる、と。

2週間、体にひどい負担がかかり、
飲み食いもできず、寝たきりだったため、
筋肉がなくなって体力がなくなってしまったのである。

シャワーも浴びてる最中めまいが始まり気持ち悪くなり、
体も洗わず急いで出てソファーに倒れ込んだ日々。

本当に毎日少しずつ座っている時間、立っている時間、
歩いてる時間を増やしていった。

【18・19日目】12/31-1/1
近くの広場で年末コンサートがあるということで
父と出かけることに。

広場まで歩いて20分。
コンサートは19:30-21:00までと聞いていたので、
それまでデング熱になってから一度も家をでていなかったので
不安だったのですが、12月中旬から楽しみにしていた
クリスマスまでも寝たきりで過ごしたので、
外にでたい!!人に会いたい!!モードだったので、
絶対に行く、と決めていた。

現場に行ってみたら、朝の2:00まで
5アーティスト呼んだ大がかりな
カウントダウンイベントだった。

ただ、机と椅子と簡単な食べるもの飲むものが
あったので、座って休みながら、楽しんでいたのだが、
周りが踊り始めて、私にも一緒に踊ろうよのお誘いが。
踊れるかどうか分からなかったけど、
立ってみて、ゆるく踊っても大丈夫なことが判明!

その後、インスタで他にその広場に来ている友人を発見し、
友人の場所で楽しく話したり踊ったりして年を楽しく明けた。
本当にベネズエラ人はフレンドリーな気を使って話かけてくれる人が多く、
本当に楽しく年をあけることがきたのは、彼らのおかげだ。

1時に帰り、興奮で寝れず、寝たのは3時半くらい。

次の日も、たくさんの人が集まりイベントに午前中行き、
久しぶりに人に会ったのが嬉しくて、沢山の人と話し、
気がついたら数時間たっていた。

最後にトイレによったら、目の下真っ黒で目が大きく見開いている
ミイラみたいな顔になっててびっくりした。

その後、家族と久しぶりに外食をし、帰ったらエネルギー切れで
ばたっと倒れて、夕方の16時半くらいから次の日の朝8時半くらいまで
寝ていた。

【20日目】1/2
その後、疲れがすぎて何もできず数日感寝たきりに。
デング熱になってから、足がちくちくするという事象が
ほぼ毎日あったのだが、発疹にはなっていなかった。
この日の夜、全身がとても痒く、夜眠れなかった。

【21-23日目】1/3-5 デング熱になってから3週間
この日の夜は全身の痒みがさらにひどくなり、
気がついたら全身に蕁麻疹が出ていた。
全身が痛くて痒くて、また泣く。

その後、医者に確認してもらい、
薬を処方してもらうが蕁麻疹は治らず、
2つめのもう少し強い薬でやっと少しずつ
蕁麻疹が治る。

原因は、まだ体が弱っているのに急に外に何時間も出て
無理をしたので、体がそれに耐えきれず
蕁麻疹が爆発したのだと思われる。
実際周りのデング熱にかかった友人に聞くと、
デング熱になってからその後数ヶ月ずっと
蕁麻疹がとまらないと言っていた

【23-30日目】1/6-13今現在】デング熱になってから1ヶ月
その後は薬を1日2回飲んだのをちょうと13日現在1日1回に変更。
まだ体のちくちくは残っている。
外に45分ほど散歩はできるようになったが、
今までは1時間以上歩けてたのが、
まだそこまでの体力はない。
だが、近くのスーパーや薬局買い物するための
外出はできるようになった。

今までみたいに1時間ストレッチもできず、
5分ほどで頭に血が上って息が上がる。
怖くてまだ踊る、泳ぐ、走るはやっていない。

シャワーも普通に浴びれるようになり
料理も休みながら2時間料理ができるようになった。
ご飯も以前食べる量に戻った(それはそれで問題)

ただ、1ヶ月たった今、まだ、体力は以前のものに戻っていない。
無理すると、蕁麻疹のようなぶり返しが来るので、
少しずつ戻していくのがベスト。

あと1ヶ月かけて、戻していきたい。

長くなったが、大人になってから、自分の記憶に残っている中で
一番長く辛い病気だったので書き残しておきたかった。

もちろん、その間に一人で寝ている寂しさから
生きている価値があるのか考えたり、
寂しくて鬱になったりもした。

だけど、ここで得た一番のものは、
「私にも命の価値があると行動に移してくれる人がいる」
という現実があったことだ。

私はベネズエラに来る前にセネガルに滞在していた時、
夜中に犬に噛まれたことがあった。
ちょっと目がおかしい犬で、狂犬病を疑った。
狂犬病にかかったら2週間で死ぬ。
(アフリカ人の知り合い曰く)アフリカではこれが理由で死ぬ人はまだいる。

私は現地の言葉がしゃべれないので病院に行きたかったが、
誰か言葉を知っている人が一緒についてきてもらうよう
何人か友達に電話したのだが、結構な人数が明日の朝仕事だから、
夜遅くてそっちいくのが大変だから、という理由で拒否された。
1時くらいから電話して最終的に朝の5時に付き添ってくれる人を見つけたのだが、その時、私が死んでもいいから自分を優先した人が
十人前後いたのが、心の奥深くまで傷ついた。
(自分を優先しないといけない時はあるが、生死に関わる時は・・・とショックをうけたのだ)
自分には生きる価値がないんじゃないかと深く思ってしまった出来事だった。

そんなトラウマがある中、あまり仲良くもない知り合い程度の医者が、
私が一番辛い時に何回も家にきてくれた。
無償で、病院に行かないと出来ないようなことをやってくれた。
元気をくれた。

私はそれが心のそこから嬉しくて、泣きながら彼女に感謝を伝えた。
セネガルでのトラウマが、少し癒された瞬間だった。

セネガルでは私が病気でも自分から助けを求めないと
誰も助けてくれない。
だけどここでは、私のために無償で動いてくれる家族がいた。
必要なものを買ってくれたり、私の大便の後をふくと言ってくれた妹。
ココナッツジュースを買ってくれたり、スイカを切ってくれた父。
そして、薬から、ご飯から、お医者さんの送迎から
頼んでもいないのに一生懸命動いてくれた母。

ちょっと前まではセネガルで孤独で誰も助けてくれない状況で
自分には生きる価値がないと感じていたのに、
何も彼らに徳がなくても無償の愛で助けてくれる家族がいるんだと
感じれる出来事だった。

今のベネズエラへの帰省は、いろんなトラウマを癒すために
帰ってきており、セネガルでは受けられなかった無償の愛を
感じる事象の一つの体験だった。

ちなみにベネズエラでは11月から1月にかけて、
デング熱、インフルエンザ、風邪、コロナが
めちゃくちゃ流行っており、みんな高熱を出していた。

その後年末年始にご近所さんがデング熱にかかり、
血小板が40までさがったので入院して1日最低500ドル支払いが
あるのを聞いて、本当に入院しなくてよかったと思った。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?