0306 コロナで仕事は無いが、土日に時間がある
1年間のうち大体45週以上は土日仕事の生活を10年以上続けてきた。
そうするといわゆる普通の土日の感覚はとうに消え去ってしまい、むしろ土日が週の一番のピークにもってくる体になってしまっている。
それはイベント業では珍しくない事であり、人が休むときに忙しく、人が働いているときに暇になるというものである。
この連日の政府からの要請による自粛の嵐で、人が集まる場の仕事は一切なくなってしまい、この土日も打ち合わせがあったものの基本的には休みという形になってしまった。
思い出すと子供の頃は土日の夜ご飯というのは外食率が高く、いつもと違う夕食が食べられるんじゃないかと子供心に期待をしていたのを覚えている。
そんなワクワクも忘れてしまっていたことに気づいた。
せっかくだから外食にした、それも記念日用のレストランだ。
私は普段4社に所属し、それぞれの仕事を多角的に取り組んでいる、当然日々は忙殺される、それがどうだろうこんなにゆったり食事を取ったりなんかしていて大丈夫なのであろうか、数年前まではそのような焦燥感に襲われていたような気がする。
休んでいては置いていかれる、負けてしまう。無理やり仕事を詰め込んでいた。そうやって焦って自らに枷をつけるが如く働いたからこそ今がある、それは間違いない。
そんな気持ちのままではこのnoteも書く気にはなっていなかったと思うが、今はもっと引きで人生を見る必要があるように思う。
どこに向かうのか、何のための技術を身につけてきたのか、何故その没頭した日々が無事に過ごせたのか、、、、
自らの成長とやってくる仕事はこれまでも確実に相関関係があった。一つ成長したと思ったらまた一つ上のハードルがやってきた。
同じように今仕事がパタっと無くなったからこそ考えられる今がある。立ち止まって引きで見ることができる時間がある。
少なくとも今日のとてつもなく美味い食事にありつけているのは、ある部分コロナのお陰なのである、だからといって甘んじるわけではないが、この変化の時にこそ事態を見定めより自分のやるべき事の精度を上げていく必要がある。 変化に強い者が生き残るのであれば変化の中にこそ生きなければいけないと感じる。