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多重人格のススメ

【多重人格は悪いのか】

私は四重人格だ。

周りにもよくそう言っている。

私は自分の中に複数の人格があると感じている。

ある時は陽気で楽しく笑上戸で脳天気だし
ある時は冷静に淡々と喋り相手を詰めていくし
ある時は自信ありげに堂々とふるまってるし
ある時は周りを気にして恐怖におののいている

ある人が私を二重人格だと言ったらしい。
嫌な感じで。
悪口として。

いやいや私は二重人格以上ですよ。
四つ以上あることは認めてますよ。

そこで思う。
皆、いつでも、どこでも、どんな時でも統一された自分なのだろうか。

私に関して言うと

私は大声ケタケタ笑う時もある
脳天気でいい加減に見える時もあれば
小心者ですぐに泣く時もあるし
大声で激昂する事だってある。

すごく几帳面に見える事がある
しかしかなり大雑把で自分の事すらちゃんと出来ない。

かなり明るく太陽のようだとよく言われるが
反面めちゃくちゃダークな闇の部分がある

恐れを感じて動けない事もあるし
役割として堂々と自信あり気に振る舞うこともあれば
冷静に物事を整理して論理的に分析する事もある

どれが本当の私何だろう?
私は作っているんじゃないのか
演じているんじゃないのか。
一体何が本当の私なのか。

そんな事に悩んだ若かりし日もあったが
一つの考えに行き着いた。
それは

全部私なんだ!

ということ。

誰かが私のある面を見るとする。
でもそれは私の中の一部のわたし。
それが全部の私じゃない。

【カリスマ性の罠】

私はよくも悪くも目立つ。
勝手に皆が優れた人だとこれまた
よくも悪くも勘違いし
理想像を作りあげる

理想像は過度な持ち上げに変わる。
キャーキャー言う親衛隊のような人達が周りに群がる事がよーーーくある。

そして理想像と違う面が見えると過剰な持ち上げから攻撃に変わるのだ。

正直、過剰な持ち上げば欲しくない。
自分に群がる人達が怖い。

私はただみんなと仲良くなりたいだけ。
横並びでいたい。
一緒に色んな事話し合いたいし、
同じ立ち位置で議論したい。

これが過剰な尊敬や持ち上げになると私が言った事が正しいと勘違いする人たちがいる。
私が正しいとは全くもって思ってない。

私は指摘して欲しいんだ。

だって指摘されない人は成長しないと思うから。

それ違うんじゃない?
こんな考えもあるよ。
私はこう思うよ。

そんな指摘をしてくれる関係性を作りたい。

過剰な尊敬になると上下関係ができる事が多いように思う。
ある人が上だと思うと自分が下だと思う人は上だと感じている人に何も言えなくなる状況を見てきた。

全ての人がそうではないが多くの人は私に対してはそうなってしまう事が多いと感じる。
もちろん私の何かに問題があるのは間違いない。

一つ気づいた事はキャーキャー慕ってくる人には近寄らないという事だ。

過度に慕ってくる人たちがいう事

教えて下さい
ついていきます
何でも一緒にしたいんです
して欲しい事教えてください
尊敬してます
すごいですね

このセリフをよく私につかう人からは離れようと思う。

指摘されない人は成長しない。
指摘されなくなったら終わり。

私はそう思ってる。
だから私は指摘される人でありたい。

【noteのつかいかた】

コロナ禍ではよくも悪くも色んな人の人間性が露呈したように思う。
そして変化に繋がった人も多いのではないだろうか。

私がこうやってnoteに内面を表現しだしたのもコロナ問題が無かったらしなかった事。

noteは仕事に繋げればいいよ。
そう言われnoteを紹介された。
最初は名前を出して仕事に繋げようとか考えていた。

でも色々考え、名前や写真を公表するのをやめた。
また仕事に繋げようと考えるのもやめた。

noteを使っていて私が思うのはnoteって楽しい、面白いっていうこと。

私は読むこと、書くことが好きだ。

noteで私が感じる事はみな文章がうまいということ。

うまいな面白いなと思う文章の多くはリアルストーリーであり、本心を語っていると感じるものだ。
そんな文章はひきこまれるし、興味深い。

反面私にとって興味なく面白くないものがある。

それは何か売り込もうとしていたり、文章が表面的で内容も入ってこず、どこかの本の受け売りのような文章だ。

だからnoteをビジネスとしてつかうのではなく、思いのままに書いていこう、そう思った。

名前を公表せずに表現していくのは初めてだ。
そして、こんなに表現しやすいんだと思った。

コロナ問題が起こらなかったらこんな事はしようとも思わなったと思う。

コロナ禍で人間性が露呈したと書いた。

表面的に取りつくろい、私にまとわりついていた人達の内面が露呈したと感じている。

同時にそれ自体その人の一部の姿。
みんな私と同様色んな面がある。

一見ネガティブに見える事が表面化するときがある。
ネガティブと取れる面が出る時は心の余裕がない時ではないか。

心の余裕の作り方を理解し、頭と心がいっぱいいっぱいでなく、スペースを残しておけるようにしたい。
スペースを残す事で心に余裕が持て、小さい事に動じない自分になれるように思う。

私のnoteの使い方は、そんなネガティブ面含め、想いを吐き出し整理する場所にしたい。
ずっと聞いてるとしんどいが、ネガティブが悪いとは思わない。

色んな面があって自分であり、その人なんだ。

【多重人格の使い方】

多重人格について書いた。

精神科領域でない多重人格は誰しもあるのではないかと私は思っている。

むしろ、仕事ができる人、人生の荒波を乗り越えていく人は色々な人格をうまく使い分けているのではないか。

自分の感情を素直に受け取り感じながらも
仕事や役割を求められた時には
その状況に合った自分を演出出来ることは
より良い仕事につながると思うし

むしろ状況によって人格をスイッチとして切り替えることがよりよくできれば、それほどいいストレス対策はないだろう。

多重人格を活用すれば心にスペースを作ることが出来るように思う。

これから自分の人格それぞれをストレス耐性への力と成長させ、使いこなし、未来に起こる様々な人生の荒波を乗り越えていきたい。

【空と人格】

空をみているの好きだ。
写真のように気持ちよく晴れていることもあれば、嵐のこともある。

青い空もあれば赤い空もある。
人に癒しを与える空もあれば
人を傷つけ悲しませる空もある。

空と人は似てると思う。

色んな空があり、どれも空である事には変わらない。
そして私たちはそんな空と絶対に離れられないし一生付き合っていく。




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