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「共通テスト」初回(2021年度)の「世界史B」が良問だったので勝手に全問解説してみた

ただのしがない歴史好きのサラリーマンなのですが、今年の世界史Bが良問と聞き、久しぶりに本気で解いてみました(ちなみに82点!ブランクの割にはまだまだ行けるやん!)。

全体的に、「読解力」というコンセプトを、歴史学の特徴に絡めてしっかり反映させている、非常に良問だと感じました。そこで、全問、個人的に解説してみます。問題文はここでDLして、見比べながら読んでください。

■第1問:史料・資料の扱い方

第1問A「史記」

1問目から資料への向き合い方を聞く内容で、何か「今までとは違うぞ」と感じた方も多かったと思います。

まさか、これが序章にすぎないとは、私も思いませんでした

問1:これは「キングダム」を読んでいる人なら余裕の問題ですよね。李斯の事績である法治主義の厳格化を問う問題なので、解答は③。私、キングダム読んだことないので、李斯が漫画に出てるのか知りませんけど。

秦の著名な法家の政治家としては商鞅と李斯、あとは韓非(子)がいます。商鞅は始皇帝よりもかなり前の時代の人間であり、始皇帝に仕えていたという点で李斯が選べます。韓非子と李斯は同時代ですが、李斯は実務政治家であり、韓非子は理論家、という分類ですね。

なお、商鞅と李斯、ともに最後は政争に敗れ、自ら厳罰化した罰で苦しんで死ぬという悲惨な最期を迎えます。

問2:はいはい焚書坑儒ね、と、①を選ぶとバッドエンド。単なる暗記ではなく、本質を聞いてきます。焚書坑儒の焚書はあくまで歴史書、思想書がターゲットであり、医薬・占い・農業といった実務書はセーフだったのです。

なので選択肢①は×。他の選択肢を見ると、

②禁書目録。マニアックだが「とある」ファンなら余裕?。初めて作成した教皇はパウルス4世、その後トリエント公会議で既存の禁書目録は極端に厳格かつ恣意的だと批判され、ピウス4世は公会議後の1564年に規範となるべき禁書目録を作成した、という流れ。なのでこれも×。

④世界史に出てくるマッカーシーは日本を占領した彼ほぼ1人。イギリスは関係ない。なので×。

ということで、消去法で解答は③。

問3:これも難問ですが、今回の試験、問題文を読むとヒントが書いてあることが多い。読解力が試されている。

問題文には「自由な経済活動」とある。ここがカギ。

選択肢③の董仲舒は前漢、④三長制は北魏、①諸侯権力の削減からの反乱は割と当てはまる時代が色々ある曖昧選択肢。明確に時代で消去できるのは④だけじゃん。。。と思って焦るのではなく、問われているのは「自由ではない経済活動は何か」と考えればいい。

とすれば、①③は経済の話ではない、④は経済政策と言えなくもないが、自由の対比は「平準法」(国の売買による物価調整政策)でしょう。ということで解答は②。平準法がいつの時代のものか知らなくても、言葉の意味を知っていれば解ける!

第1問B「マルク・ブロック」

マルク・ブロック!

史学科卒の私としては、大学在籍時、これでもかと偉大さを教えこまれた高名な歴史学者ですが、高校生で知っていたら「通」。「封建社会」が金字塔ですが、「王の奇跡」も個人的には大好きです。

これも資料とは何かを考えさせる問題です。

問4:ここからの2問、このブロックの文章が1789年、つまりフランス革命を前提にした語りだとピンと来なければ苦しい。解答は③。

第一共和制⇒国王の処刑⇒総裁政府⇒統領政府⇒ナポレオン

という流れなので「い」の選択肢は当然誤りだが、マルク・ブロックの文書で論点になっているのは、教会財産の没収であることは一目瞭然。

選択肢XもYもZも、そんなの教科書に書いてない、という感じだが、問題文を読めばわかるようになっている。とにかく、問題文を読め という国語の問題。

問5:革命前の「アンシャンレジーム」の話ですね。迷わず④

■第2問:金融史

第2問A「イギリス貨幣史」

The 経済史。社会人になると異常に面白くなる分野です。

問1:この問題、良問揃いの今回の問題で珍しい「理不尽」問題。というのも、Aのグラフにおける1700年代後半のスパイクが「500万ポンドに達」したのか、なんとも言えない微妙なところにある。問で聞かれている時期(=500万ポンドに達しった時期)は1776年か、1821年か、どちらとも取れる。

深く考えずにイギリスに直接関係あるのは茶会事件、として解答は②、とした人は大勝利。

じっくり選択肢を考えていくと、、、

①の世界史変顔3傑のイダルゴが引き起こしたメキシコ独立運動は、ナポレオン戦争の影響を受けた1810~1821年の話。ちなみにイダルゴは司祭になって学校の校長をやってたんですが、放漫経営、女癖、博打の3点セットで退職したと言われています。そんな彼がまさかメキシコ独立の英雄になるとは。まあでも、歴史上の英雄なんて意外とそういうキャラが多いんですよね。イダルゴが少し身近に感じられるエピソードですね。

話を戻して、②のボストン茶会事件はアメリカ独立前の1773年の話。③イラン(ペルシア)が近代国家ロシアに屈したトルコマーンチャーイ条約は1828年、④のアレクサンドル1世の神聖同盟はナポレオン戦争終結後の1815年。

という感じで、年号を覚えておけば、一つだけ18世紀の話で違う、つまり一つだけ正しいで選べる問題かもしれないが、うーん。

ちなみに、個人的には、アメリカ独立(18世紀後半)⇒フランス革命(18世紀末)の順番・前後関係は、世界史受験で混乱しないための必須のポイントだと思います。フランスのラファイエットがアメリカ独立に関わり、母国フランスでは英雄と称され、フランス革命時にはフイヤン派の議員として活動した、という流れを知っておけば、そんな変な話でもない。

問2:これも問題文をちゃんと読めれば解ける問題。紙幣流通量が増えているのだから、発行量が増えた、と考えるのが自然。新聞読んで、日銀など世界の中央銀行の量的緩和政策に少しでも関心を持っていれば、常識的なロジックです。

金鋳造量が「10年以上にわたって100万ポンドを下回り続けた」のは、前の問題のグラフから1800年代初頭、つまりナポレオン戦争期、なのでイギリスは対フランス戦をやっていた。

というところで、解答は③。

グラフの出所として、ミッチェルの世界歴史統計が使われているのも、史学科出身としてはニヤリポイント。必読文献ですね。

問3:コインに彫られたイギリスの女性君主、んなもんアンか、メアリか、エリザベス×2か、ヴィクトリアの5人で、みんな重要、それぞれの年代と事績は、世界史受験者なら押さえておきたい、という話(もうひとりマティルダというマニアックな存在もいますが、大学受験では不要でしょう)。

5人のうち、3人は中世~近世、1人は現代、19世紀が1人。で、19世紀前半ときたらヴィクトリアですね。ヴィクトリアときたら、インド皇帝です。解答は②。おしまい。

④のハノーヴァー朝(1714~)の創始者はドイツ人のゲオルグさん(英語名ジョージ1世)と覚えておきましょう。ちなみにヴィクトリアもハノーヴァー朝、現在のウィンザー朝は二次大戦で反ドイツ感情から改名しただけで、実質的にはハノーヴァー朝。

②のグレートブリテン王国は、アン女王時代の1707年「合同法」で成立した、ブリテン島全体を統一した王国です。ちなみにアイルランドがグレート・ブリテン王国と統合したのは、1800年「合同法」。

③の「統一法」は「合同法」に似た語感だけど全然違う。統一法は、1559年にエリザベス1世が、国教会の礼拝法を統一し、イギリス宗教改革を終了させた法律です。

実は、きちんと女王の事績を比較する問題。基礎力が試される。

第2問A「アジア貨幣史」

小林さんとユルマズさんて、作問者はFXでもやっていたんでしょうか?それはさておき、またもや経済史。頻出テーマの、中国の税制と銀流通です。

問4:基本的に、経済規模の大きい国=中国が、銀の需要国となります。中国から日本へ銅銭は輸出されたが、大量に銀が日本に流入した、という事実は教科書的に考えなくてよい。押さえるべきは、16世紀中盤ごろ、日本の岩見銀山が開発され、世界史に影響を与えるほど銀の原産国となったこと。ということで選択肢①はない。④のアヘン戦争は明治維新直前の1840年なので、これも16世紀の話では無い。

となると、明の「一条鞭法」と清の「地丁銀制」の違い、という超基本問題になります。選択肢③は一条鞭法のことですね。両税法に変わって明代に施行された税制で、現物納や賦役・徭役(労働)を銀納で一本化したもの。一方、選択肢④の地丁銀制は清代に施行された税制で、丁銀(人頭税)を地銀(土地税)に組み込んだもの。

一条便法によってアジアでは基軸通貨的存在となった銀需要が増大したこと、また地丁銀制では人頭税が実質廃止になったので、これ以後、中国の人口が急増する(家族を抑制するメリットが消失)、という世界史的な意義もセットで覚えておきましょう。

ということで、問われているのは16世紀=明時代の話となるため、答えは③。しっかりとした知識の整理が必要な問題です。

問5:「銭」と書いてあればたいていは「銅」、元王朝の紙幣「交鈔」は必須知識、半両銭はどの王朝だろう、という流れで考えることができるかどうか。まあ、「半両銭=秦」と覚えておけばいいし、中華の度量衡・通貨統一という大事業を目指したのは「秦」、という話から類推もできる。ということで、答えは③。

問6:トルコの父、と問われたら、即座にケマル・アタテュルク。そもそも「アタテュルク」が「父なるトルコ人」を意味する称号だということを覚えておけば、ピンとくる。

トルコ共和国の成立、ギリシャ軍の撃退、大国民議会の組織、憲法からイスラムを国教と定める条文を削除(政教分離)、カリフ制・スルタン制の廃止は、いずれも彼の事績。さらに、トルコ語のアラビア文字を廃止してラテン文字に改める文字改革も断行しました。なので④が誤りで答え。

トルコ語ってアルファベットなんだよね、て知ってたら楽勝。ちなみにトルコの通貨はFX人気通貨のトルコリラ、トルコはEUに加盟しようとしている、というあたりも知っておくと社会常識ポイント稼げる。

■第3問:文学やジャーナリズム

第3問A「感染症」

コロナだから感染症の歴史は押さえておけって塾の先生から言われませんでしたか?言われてない?はい。

絶対出ると思っていたペスト関連。

問1:『デカメロン』はボッカチオで、ルネサンスは人文主義。答えは④.基本暗記事項。逆に言えば、覚えておかないと解けない。

問2:空欄アで「ペスト」が出ないと世界史受験は向いてない。「病に関する説明」は、Xの選択肢は問題文を読めば違うとわかる(『デカメロン』によれば、とわざわざ書いてあるのを見逃すな)。Zについては、ユーラシア大陸⇒アメリカ大陸で持ち込まれた感染症は「天然痘」(新大陸の人口激減を引き起こした)、一方、アメリカからユーラシアに持ち込まれたのは「梅毒」と覚えておこう。梅毒がユーラシア大陸に来たのは、コロンブス一行が現地女性とxxxしまくったからだね(コロンブス以前からあったという説も有力ですが)。Yはもう基本本質情報。なので答えは⑤。超基礎問題なので、これを落とすようなら世界史受験は諦めるべし。

ちなみに「コロンブス交換」という概念もあります。リンク先の話をなんとなく覚えておくと、世界史受験で役に立つかも。

問3:かーらーの、難問。修道院を軸にしたキリスト教史を振り返ると、

・メロヴィング朝のクローヴィスがキリスト教アタナシウス派に改宗したのは5世紀末、ベネディクトゥスがモンテ・カシノ(カシノ山)に初めてベネディクト会の修道院を築いたのは6世紀。

・10~11世紀にはベネディクト会のクリュニー修道院が改革運動を進め(西暦1000年前後とイメージしておくべし)、同じ時期に労働と学習を重んじるシトー会が森林に覆われていた北フランスの開墾や新農法の普及を行った。

・改革運動の流れを受け、聖職売買の根絶を目指して「聖職叙任権」を世俗権力から教皇に取り戻す「叙任権闘争」が12世紀まで継続し、「ヴォルムス協定でひと段落。その後13世紀のインノケンティウス3世は教皇権全盛時代(「教皇は太陽。皇帝は月」発言の人)で、第4回十字軍の破門や清貧運動のフランシスコ会を承認をした。

・イギリスで修道院の財産を没収したのは悪名高きヘンリ8世(16世紀)。

という、キリスト教史をきっちり抑えられているかどうかが問われる。消去法で②が残る。

第3問B「社会主義革命」

ここで社会主義革命の話をするということは、社会主義、共産主義は感染症と言いたいのだろうか?なかなか面白い視点かもしれない。

問4:科挙は儒教の試験であり、仏教じゃないですね、以上。答えは④。

フランスの1905年政教分離法はしぶい選択肢。カタカナで「ライシテ」と言います。あとは基本知識ですね。

問5:この日本人ジャーナリストの文章が、ロシアの社会主義革命に関する文章だと気づけなければ苦戦するかも。問題文に19世紀以降のロシアの革命運動、て書いているので、まあピンと来てほしい。

そこまで気づけば、革命家と、対抗するのは国家側のインテリ層=つまり官僚、そして「ヴ・ナロード」のスローガン。とスラスラと行けると思うが、センスがないと、意外と難しい問題かもしれない。

問6:基本知識を暗記しておかないと太刀打ちできない問題が一番難しい。

後に出てくる別の問題とも関わってきますが、バルカン半島・オーストリア方面とは違う、もうひとつのキリスト教vsイスラム教の舞台、つまりロシア対トルコの歴史が問われています。大きく分けて3段階で覚えましょう(ロシアとトルコは10回以上、露土戦争をやっています。ややこしい)。

・18世紀後半の露土戦争はロシアの勝利で、エカチェリーナ2世がクリミア半島統合

・19世紀中盤のクリミア戦争は、アレクサンドル2世率いるロシアの敗北でパリ条約

・19世紀後半の露土戦争はロシアの勝利で、サンステファノ条約(影響は後述)

アレクサンドル2世の農奴解放は超基本的事項ですが、クリミア戦争で産業革命が進んでいないロシアの弱体化が明白になったため、皇帝が農奴解放に踏み切ったという流れを押さえたい。また、クリミア戦争は極東カムチャッカ半島でも戦闘があり、1855年の日露和親条約からの1875年の樺太・千島交換条約につながる。ここまでアレクサンドル2世の事績。答えは③。

ちなみに、ナポレオン戦争期を戦い、「神聖同盟」を立ち上げたのはアレクサンドル1世なので混乱しないようにしたいです。あと、クリミア戦争と言えばナイチンゲールですね。

第3問C「記録の改ざん」

問7:国語の問題。オーウェルの作品に込められているのは、ソ連社会主義における、(トロツキーと対立した)スターリン独裁化への批判、という問題文が読めるかどうか。問の本質が分かれば①。

問8:18世紀中国=清時代の一大編纂事業といえば「四庫全書」。目的も覚えておくべき重要なポイントですが、文章を読めば分かるでしょう。満州民族による漢民族の支配と風俗統制の正当化です。中国人が昔から伝統的にラーメンマンみたいな髪型だったわけではなく、その時代は清王朝時代に限られるのです。常識や伝統と思われているものが、割と近年導入された風習だった、ということが世の中にあふれている。そういうことに気づき、学ぶことも、歴史学の意義の一つです。答えは②。

■第4問:公文書

第4問A「近代の条約」

問1:露土戦争再び。先ほど説明したサン・ステファノ条約は非常に重要で、

・アルメニアなどコーカサス、アナトリア東部のロシアへの割譲
・ルーマニア、セルビア、モンテネグロの独立の承認
・ブルガリアへの自治権の付与(マケドニア含む大ブルガリア公国)
・ボスニア・ヘルツェゴヴィナへの自治権付与

という、その後のバルカン問題につながる条約です。というわけで、ルーマニア独立という記述から、露土戦争のサン・ステファノ条約の②。

問2:難問というか微妙な問題。サンステファノ条約で自治権が付与されたのはブルガリアとボスニア・ヘルツェゴビナ。悩ましいのは、選択肢①のaエリアはヘルツェゴビナなのかモンテネグロなのか…たぶん、モンテネグロで、モンテネグロは自治権ではなく独立した、なので、こたえはブルガリアの②。

問3:易問。イタリアがボスニア併合とか、どこの異聞帯、世界線の歴史でしょうか。併合したのはオーストリアですね。「い」は超基本知識。よって答えは③。

第4問B「現代の条約」

パンダ外交と冷戦構造の変化の話。パンダ好きなら上野よりも白浜です。

問4:二次大戦後の中華人民共和国(以下、中国)の外交史。冷戦は、共産主義圏vs資本主義圏、という単純な話ではない。

ポイントはYの文章。確かに戦後直後は、中国はインドとも、ソ連とも一時的に仲が良かったが、結局、仲違いしたという経緯があります。

中国が国共内戦を経て1949年に建国され、中華民国に代わり中国大陸を支配し、1950年にはチベット侵攻。インドは早期に中国を国家承認し、最初に大使館を設置した国となりました。インドのネルーと中国の周恩来はともに領土主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存の5つからなる「平和五原則」を掲げました。1950年には、中国はソ連と、日本とその同盟国(アメリカ)を仮想敵国として、中ソ友好同盟相互援助条約を締結。

しかし、1959年にダライ・ラマ14世のチベット亡命政府がインドに亡命すると中国とインドは、両国の国境の解釈をめぐって対立するように。というのは中印現代史の基礎知識。主にカシミールが紛争地域です。

ソ連もアメリカと接近したため、1950年代後半から中ソ対立が表面化し、ソ連はインドを支援、印パ戦争ではパキスタンを中国が支援と、インド亜大陸では中ソ両国の対立が反映されるようになりました。ガンジーの国・インドが核兵器開発を始めるきっかけですね。

Yの文章は、仮想敵国が日本とその同盟国なので、ソ連との間に結んだ資料です。答えは①。

問5:難問。現代史の順番なんてみんな興味ないはず。私も勘で解いた。前の問題とは異なり、各文書を特定する必要がありますが、これが意外と難しいのです。

X:ニクソンショック・つまりニクソン大統領の電撃的中国訪問

Y:中ソ友好同盟相互援助条約

Z:日中共同声明

Xは基本知識。Zは、日中友好条約か日中共同声明か、で悩ましいが、問題文をよく読もう。資料Zのタイトルに「共同声明」と書いてある。Yは上の問題で解説したように、日本とその同盟国を仮想敵国としているという点で、ソ連との間の条約だと類推できればOK、という感じかな。

ここまでくれば、あとは、現代の極東冷戦構造とその推移を覚えているか。

まず終戦(1945)直後は、朝鮮戦争、米ソ接近、日本の国連加盟という激動を押さえておく。つまり、「中ソ+北朝鮮vs日米+韓国の朝鮮戦争(1950~1953)」⇒「ソ連のスターリンの死去(1953)」⇒「ソ連・フルシチョフが米国と平和共存路線・雪どけムード(1956~)と中ソ対立の開始」⇒「日ソ共同宣言(1956)=国交正常化」⇒「(ソ連が賛成に回ったため)日本の国連参加(1956)」⇒「1962年代初頭のキューバ危機」です。

次は、米中関係の変化。つまり、ニクソンの訪中(1972年2月)で、米中関係が対立から和解へと転換したこと。この訪中について事前連絡がなかったことが批判され、佐藤栄作首相から田中角栄首相に交代。田中首相は交代後すぐに行動し、(米国よりも先に)日中共同声明=国交正常化(1972年9月)を果たします。1978年には日中友好条約も締結(ちなみに日ロはまだ友好条約結んでいません)。

というわけで答えはY⇒X⇒Zの③ですね

さて、米国追随ではなく独自に中国と外交を進めた日本の自民党政権ですが、現代(2000年代以降)は米国追随・再軍備・憲法改正志向の「清和会」(森・小泉・安倍・福田、そして第二次安倍)勢力が優勢と言えます。一方、米国よりも先んじて中国と国交を回復した田中角栄の後継として、親中派の代表となる小沢一郎は、自民党を抜け二大政党制を作ろうとしています。というのが歴史が示す、現代政治への伏線でしょうか。

あと、1971年の「二つのニクソンショック」は覚えておきましょう。突然の「訪中宣言」と「米ドル紙幣と金との兌換停止宣言」です。後者はブレトン・ウッズ体制、つまり米ドルを基軸とした為替市場の固定相場制の終結を意味し、その後、現代の変動相場制へと移行するきっかけとなります。

問6:中華人民共和国が1951年(日本人なら年号は覚えておこう)のサンフランシスコ講和会議に呼ばれなかった理由。それは、戦後に二つの中国が存在し、米国や資本主義圏は、ずっと非共産圏である台湾(中華民国)を支援していたからですね。ニクソンショックあたりから資本主義圏は、中国=中華人民共和国も国として認めるようになりました。それまでは、国として認められていない大国だった中華人民共和国。

ということで、答えは②ですね。①は正しい記述だが戦前の話、③の支援先は韓国ではなく北朝鮮、④は天安門事件で1989年。1989年は東西ドイツのベルリンの壁が崩壊した年でもありますね。

第4問C「植民地統治の行政文書」

問7:まずはふたつの作品知識の整理。オマル・ハイヤーム「ルバイヤート」は11世紀のペルシア語詩集。なかなか渋い詩集なので一読の価値あり。カーリダーサの「シャクンタラー」は「マハーバーラタ」に登場するシャクンタラーの物語で、4~5世紀、サンスクリット語。

ペルシャ語とサンスクリット語、どちらも行けそうだが、問題文にはっきりと「古代インド」とあるので、そこから判断してサンスクリット語の「シャクンタラー」。後半の「資料から読み取れる事柄」は、国語の問題。先生と生徒の会話のなかにはっきり書いてます。答えは①.

当時(ムガル帝国時代)のインド公用語はペルシア語というのも豆知識。

問8:英語がイギリス支配前の諸王朝で用いられていたというのが間違いなのは、確定的に明らか。というか資料に書いてあるのは明らかに「え」の選択肢。ベンガル分割例はヒンドゥーとムスリムの棲み分けです。ここで、インド圏からバングラディシュ(ベンガル人の国の意味)が分裂し、現代にいたります。答えは③。

問9:難問の類。選択肢①のタミル語はどちらかというとサンスクリット語ベース(南インドの言語)、③のワヤン・クリはインドネシアの影絵芝居、④のウルグ・ベクは15世紀ティムール朝の君主、なのでインドで正しいのは、基礎知識ともいえるシャー・ジャハーンのタージマハル。答えは②.

■第5問:旅と歴史

第5問A「旅行記」

まずやるべきは地域の特定、地域1はシチリア、地域2はロンドン、地域3はアテネ。ロンドンは、英仏百年戦争の話をしているとピンとこなければ、少し分かりにくいかもしれない。申し訳程度のヒント「紅茶」を信じよう。

問1:シチリアは確かにイスラム支配下にあったが、イスラム支配の時代に翻訳されるとするならば、ギリシア語からアラビア語への翻訳。もうひとつ有名なのはノルマン人がイスラムを追い出した後で、ギリシア語からアラビア語に翻訳されていた古典ギリシア文献が、ラテン語へ翻訳された。これは12世紀ルネサンスと言われる話。なので、答えは①です。

正しい他の選択肢は基本知識。だが、連合軍がシチリアに上陸(ハスキー作戦)してムッソリーニ失脚は少々マニアック。しかし、秋山さんとあるので、作問者はもしかしてガルパン好きか?

問2:空欄が英仏百年戦争の話と気づけるか否か。ちなみに英仏百年戦争は、14~15世紀だけでなく、17世紀後半~19世紀前半も植民地獲得競争としてやっています。英仏の中の悪さは世界史ほっこりエピソードのひとつ。

というわけで、フランスはカルマル同盟を結んだ北欧国家ではないので、「い」はありえない。中世の百年戦争中に成立したのはランカスター朝、少なくとも12世紀のノルマン朝ではない。

こたえは①。うーん。ピンと来なければ意外と難問かもしれない。

問3:秋山さんの視点はするどい。よくそんなことに気づいたな。というわけで難問だけど、素直にローマに近い順で、答えは②。

第5問B「碑文」

「朝鮮史なんて勉強していません!日本史の範囲でしょ!」という受験生の嘆きが聞こえてきそうな問題。一方、日本史も勉強していたら割と解ける問題。なので、世界史と日本史は同時に勉強するのがおススメだが、そんなに時間に余裕がないのが受験生というもの。

問4:選択肢はともに西欧列強に抵抗した国王の親・親戚、という共通点があるのだけど、西大后は清王朝末に人物。「蒼穹の昴」を読むとよい。一方の大院君が韓国(李氏朝鮮)の人物、当時の国王の父親。XとYは問題文を読めば答えが書いてある。答えは④。

問5:難問。韓国=儒教までは辿り着いたが、王陽明がいない!いえいえ、実は王陽明=王守仁なのです。マニアック!選択肢①の寇謙之は北魏で道教、③の義浄は仏教、④王重陽は12世紀で道教(全真教)。というわけで、答えは②です。

問6:難問。壬午軍乱(大院君による日本追い出し)⇒甲申事変(日本と組み近代化を目指した一派が親清派を追い出すも失敗)⇒甲午農民戦争(ふたつの政変に失望した民衆反乱)⇒日清戦争(民衆反乱鎮圧で出張った日清両軍の対立が原因)という流れを覚えていたかどうか。じんご、こうしん、こうご、にっしんと暗記するしかない。答えは①。

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■総評

以上です。総評ですが、個人的には会社の新入社員に解かせたい問題だと思いました。社会人として必要となる、議事録等の資料をちゃんと読む力が問われていると思うからです(もちろん、歴史知識の有無で差がついてしまいますが、そこは教養力ということで…)。

読む力とは、つまり、

(※ここから先は私の単なる感想文であり、あまり有用な情報はないのでご注意ください。全問解説が面白かったという方は、投げ銭と思って300円お支払いただけると嬉しいです。オマケとしての感想文です)

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