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妻の祖父が亡くなった時、夫の事が嫌いになった

私に夫という人がいたのは20年前。
妻の(つまりは私の)祖父が亡くなった時、夫の事が嫌いになった。

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私の祖父母は、私が30を過ぎるまで4人とも健在だった。これは父方の祖父の話。
祖父は私の息子、初ひ孫誕生の知らせを聞いて大喜びしすぎて?その日そのまま。お風呂で脳のなんかで倒れてしまった。その後2年程生きたのだけど。ウチの息子はおじいちゃんの生まれ変わりだと、面白トピックとして語り継がれている。

そんな祖父はとても豪快で賑やかなことが大好きな人だった。だから死ぬ時まで選んだのか?歳も暮れの12月30日の未明に、一族全員四世代が揃ったところで亡くなった。
そしてなんでまたそういう事になったのか?年内に葬儀まで終わらせちゃおうぜ!って事で亡くなったその日にお通夜、翌日の大晦日に葬儀となった。忙しすぎるだろ!
引退していたというものの事業をしていた人なので、大晦日だというのに300人程の人が参列してくださり、盛大に見送った。

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そこで出てくるのが元夫なんだけど。
この元夫は地方出身で、年末年始にかけて田舎に帰省し、地元で同窓会の予定があった。

この祖父のお見送りの間も、帰省したかっただの同窓会に行きたいだの、ぶつくさ言っていたから、ひとりで帰省するよう促した。だってあなたのおじいちゃんじゃないし。そこまで義理立てする必要もない。ひとりで帰ればいい。だけれども、昭和の田舎の男。ひとりでこの場から帰るのか、ひとりで帰省はおかしいだろ。と、妻子を連れての帰省にこだわった。(人の気持ちがわからない特性に違いない)

今なら、は?なんでだよって斬り捨てるところですが、あの時は私も若くて、正解が分からず、夫の言いなりになってしまった。私の弱さだ。
当時2歳の息子が疲れちゃったので、と、親戚らに嘘の断りを入れ、火葬場へ行く前に失礼した。

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この話はこの20年間誰にも言わず封印していた。私の中では人の気持ちを汲めない元夫も、そして流された自分の弱さも、祖父に不義理を働いてしまったことも。全てが許せない出来事で。元夫の人間性が嫌いになった一因で、離婚のトリガーポイントのひとつだった。情けなすぎて誰にも話せなかった。
先日のこと。大人になった息子と出かけた帰りにお寿司を食べながら、生きるとか死ぬとかの話の流れで、祖父の葬儀の一部始終の話をした。

続きがまだある。

♠︎(ここからは現代の母と息子の会話形式)

母「でさ、おじいちゃんを火葬する前に失礼して、パパの田舎に向かったのよ、そしたらお腹が減ったからカニを食べようってなって。」

息子「え?なんでそこでカニ?」

母「でしょ?普通そう思うよね。牛丼とかマックでお腹を満たすならわかるけど、優雅にカニすきのコースを食べたのよ」

息子「サイコパスやん…」

母「だよねー。おかしいよね。それにさ、カニだよ。カニ私食べられないじゃん🦀ぷっ」
(私は甲殻類が苦手)
母「おじいちゃん火葬している間にカニってさ。まじでムカついてさぁwww」

息子「ごめん、笑っていい?この話めっちゃ面白いんだけどwww」

母「これ、はじめて人に話したわ!」

その後の顛末までが、なんか笑い話となった。
呑気にカニなんか食べたから結局。
大雪で途中高速道路が規制されたこと。
車中泊となりお正月の富士山を眺めたこと。
祖父が死んだという私に向かって、あけましておめでとーって義両親に大歓迎されて再びムカついたこと。
でも20年の月日を経て、なんか面白い思い出話になっていた。

あの時はあんなに許せなくて、思い出してはチクリと心が痛んだ出来事も。20年の時を経て、息子とnoteに晒すくらいに昇華して消化していた。

祖父の口癖だった「おまえはヘボだなぁ」私がヘボかったんだな。(※ヘボとは未熟者愚か者みたいな感じ。方言かな?)うんでも、今の幸せにおじいちゃんが導いてくれたのかもね。

日にち薬とはよく言ったもので。月日というのは、人の記憶をすり替えたり、許したり、優しくしたり。そんな効果もあるのかもしれない。いま抱えている問題だって、悩んでいる出来事だって、ちょっと前に負った傷だって、いつか笑える事になるのかもね。

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