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「そこにいていい。」社会的居場所の考察(大学教員・建築家によるリモートブースの作り方の動画もあり!)

アドベントカレンダーイベント Day11。TCP対談企画第4弾として、慶應義塾大学大学院教授で、小林・槇デザインワークショップの代表取締役で建築家でもある、小林博人さんをゲストに迎えます。

新型コロナウイルスに直面した2020年、小林教授には、まず個人として振り返りがあった後、なんと自宅におけるブース制作を語ってくださいました。大学教員・設計者の自宅の仕事場への工夫は皆様も知りたいのではないでしょうか。動画もありますため、ぜひご覧ください!

そして、大学の教員としてこの2020に起きたことを題材にすぐに議論を展開されています。議論から得られた考え方で、都市や地方がどのようになっていくのか、現在進行形で起こる事実をもとに考えを展開されています。

しかし、こうした大きな流れ、長期的視野やビジョンを描くことも大切であると説く一方、学生には目の前のことを「やってみること」の大切さを地で行く研究活動をしておられ、まさに、「ニューノーマルな働き方」を提供している研究会であると思いました。ぜひご覧ください。

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小林 博人
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 教授
株式会社小林・槇デザインワークショップ 代表取締役

研究会の紹介

私の研究会では、環境デザインに着目し、建築や土木構造物にとらわれない、様々な都市や地方の様相の変化にまつわる研究を行ってきました。

都市と地方を構成するハードな空間構成要素から、ソフトなコミュニティの人間関係まで、環境の変わり様を的確に捉え次の都市と地方の在り様を構想し、ヴィジュアライズすることを目的に活動しています

自分の居場所を考えさせられた2020年

正直、2月以降こんな風な生活になるとは思っていませんでした。自分自身も、日常の生活がここまで変わるとは。

私のかかわる仕事は建築の設計です。一言で言うと、ひとの生きる場所を作ることと言えます。専門はあえてくくっていません。住宅、オフィス、アーバンデザインもやっています。つまり、すべてひとの生活にかかわる環境づくりです。

今回ライフスタイルそのものが形を変えざるをえなくなってきたと思います。好きと嫌いにかかわらず余儀なくされたというのが事実です。そういったときに、自分の場所、居場所をどのように作るかについて考えさせられました。

「さしあたって、自分の家の中の居場所についてとても考えさせられた」という方も多いのではないでしょうか。

私は、普段仕事は、大学、オフィス、自宅(土日など)でこなしてきました。家のなかでは、リビングでとか、娘の部屋を借りたりもしていました。特に、自宅での仕事については、あんまり場所を設定しなくてもよいという考えだったんです。つまり、僕の居場所はなくてもよい。

しかし、それが180度変わり、自分の居場所を作らないといけなくなったのです。したがって、自分の家を客観的に見て、こんなふうに自分の居場所作りをスタートしました。「パソコンを置いて仕事をする、狭いところが好き、集中できる場所であること、視界を遮りたい、考えをすぐ描きたい」こういう条件を整理できました。やったことと発見したことは以下です。

やったこと:
・まずリビングでのプライベートな空間を確保するためにプラダンを1畳分かってきてブースを作った(仕切り)
・主寝室窓際の一角に机とモニターを持ち込んだ(90×60)ホワイトボード(90×180)を2枚持ち込んで背景にするとフィットした(どうしても自分の手で描くというのが大事であることと、ホワイトボードを映して話せることですぐに文字やスケッチを描いてものごとまとめてディスカッションを整理できた)
発見したこと:
・リビングより寝室のほうが機能した


ブースの写真

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ブースの作り方

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私の発見は、寝室は睡眠以外では使われず、家族からの距離も保てるため、空間、時間的にフィットしたということです。このように、「自分の居場所」について考えさせられ、部屋のあり方を変化させたことのあるかたも多かったのではないでしょうか?

ブース作り方動画(YouTube)

慶応の学生と見つけた自分の居場所の定義

「自分の居場所」について、すぐに慶応の学生ともディスカッションをしてみました。

発見した2つの定義:
1. 空間として居心地が良い(物理的環境)
2. 社会的にそこにいることが認められている(アクセプタンス)

物理的な環境は整っていても、社会的に受け入れられないということがあり得ます。

私の場合ですと、「家で講義などの仕事をする際は、リビングですると家族からそこにいることが受け入れられにくい」ということで、最適な場所が主寝室になったというわけです。そして、例えば留学生は、「自分の部屋にはいても、友達が近くにいなくてひとりぼっちなので、受け入れられていない感がある」というように、仮に一人暮らしでも、その逆の「社会的アクセプタンス」がクローズアップされた側面がありました。新しい「居場所の定義」の発見だったと思います。

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新しい「居場所の定義」を使って議論してみると、都市集中型の未来に対するオルタナティブが見えてくる

居場所を考えるとき、社会的アクセプタンスという要素が重要性を増したということだったわけですが、都市のありかたを考えると、その尺度で都市自身を再考するべき時が来たとも思います。

つまり、「都市は稠密にぎゅうぎゅうにしていく」ということを私たちはこれまでやってきました。それが当たり前で効率的なことであるわけですが、それが本来の意味で、自然で豊かな空間であったのか、自分の居場所であったのか、ということを問うことができます。

ゆとりというのは、時間、空間の中にもあるわけですが、人間関係の中にも必要であるということがクローズアップされたと思います。面白いことに、時間、空間、人間という3つの要素の中に「間」が入っていることは注目に値します。そして、いみじくも、慶應義塾大学を作った福澤諭吉は、人間(じんかん)という言葉を使って人間関係のことを語っていて、この社会的人間の距離について着目をしていたということではないかと腑に落ちます。

稠密な都市環境に「間」を入れていくということが必要だと考えるひとは少なくありません。最近メディアでも、「地方にいく」という選択をした人の話がたくさん載っています。都市の豊かさは享受するけれども、地方の良さについてはわすれていたものがあって、地方に住むというオルタナティブがあるのではいかということだと思います。

研究会で取り組んでいる滋賀県長浜市の山村、田根のことを紹介しましょう。田根地区は空き家増加や少子高齢化が進む典型的な過疎化進行地域です。私たちの研究会では2006年から、自然や産業など田根の環境・歴史に関わる研究、今なお増え続けている空き家の改修・再活用、福祉施設の建設、そして、地域の方々との対話を通して、田根の未来像を地域の皆様と一緒に考えるワークショップなどを行ってきました。ここに最近、民家に都会から引っ越して仕事をしている人が増えてきています。

私は、決して、都市を否定しているわけではありません。都市だけに集中するということだけでなく、地方への分散型の住まいや仕事なども、選択肢に入ってきた。これが大局の流れであるということを言っているのです。

つまり、都市はいままでの魅力をもっと顕在化させていく、町を歩いて楽しい(例えば、新橋でいっぱい飲んでいくとか)、都市にはそういう余白が、そしていろいろなセレンディピティという思わぬ発見があるということが重要だと思います。

行き過ぎた人口集中、効率性重視ではなく、ストレッチして適切な密度感を保つことが大切で、ストレッチの結果、地方への流れというのが出たのだと思っています。このように長期的に大局を見るということがとても大切だと思います。

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長期的に考えることと、とりあえずやってみることの両輪を回す

大局に変化があった年ということを話しましたが、学生諸君には、重要な機会の提供を意識的にやってきました。

これはこれまで語ってきたことと真逆のコンセプトかもしれません。つまり、「とりあえずやってみること」という場の提供です。なぜ、その両方が大切なのでしょうか。結論をいうと、「頭であれこれ考えることもいいけど、とにかくやってみよう」という力がないと、この先、何が起こるか予想できない社会で生き抜いていけないのではないかと考えるからです。

事例で説明します。

建築を伴う研究とかプロジェクトは大きくなると、何年にもわたることがあります。つまり、学校のプロジェクトというスパンで考えると、修士2年や大学4年間で、どのプロジェクトにかかわるかで、成果を享受できるかできないかに差がでてくることにもなりえます。私は、できることなら多くの学生に「自分はこれをやった」と実感して卒業していってもらいたいと思っています。

私の研究会では「小さくてもたくさんやってみる」ということが体現できるようなことをやっています。大事なことは、小さいサイクルでたくさん、長くても1年くらいでどんどんやってみるということです。「付け焼刃で意味あるの」という批判もあることはわかっています。

これからは、レスポンスの良さ、俊敏な行動力をもつことがとても大切だと思っているんです。そういう俊敏さを求められる活動を、「俺はうけて立つぜ」、「そういう教育は大事なんだ」というスタイルです。長期的に考えることを否定しているわけではありません。実践力(短く回すことが大切)を磨くというチャンスが通常の大学教育ではなかなかできないので、それを提供しています。
もちろん、研究課程をサポートするための方法論をもって挑んでいます。ひとつは地に足のついたフィールドワークですし、また別の方法論はその対極のエクストリームにやってみようということです。

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エクストリームの方法論ということで、一つ事例を紹介しましょう。
三越百貨店の協力のもと、デパート建築とその商品配置について学生と考えてみました。百貨店の論理では、「噴水効果、シャワー効果」と呼ばれる商品配置が一般的です。

用語解説:
「噴水効果」とは、デパートなどで下層の施設を充実させ噴水のように下から上へ客の流れを作り、デパート全体の売り上げを増加させること。ファウンテン効果とも呼ばれる。せっかく地下(最下層)に来たし、上の階に行けば、他にいいものが見つかるかもしれない…と客に思わせ、ついで買いをしてもらうことが狙いとなる。
「シャワー効果」は噴水効果と反対の流れ。つまり、上階の施設を充実させ、シャワーのように上から下へ客の流れを作りデパート全体の売り上げを増加させること。最上階へ客を誘導することにより、上階を目的に行く客が、途中の階層の店へ立ち寄る可能性がある。また、上階から下の出口へ帰ろうとする客も「ついでだし途中の店も見て回ろう」となることも見込める。食がデパートの上にあることで、ランチ後に、ついで買いをしてもらう狙いをもっているデパートも多いと言われる。

40万点ある商品の配置です。
それらを、配置を全部変えてみたんです。


デパートというビルディングタイプがどのような可能性と問題点を持っているかを 商業的な視点、歴史的な視点、都市的な視点から分析しました。

扱っている商品の種類、点数の多さが都市において抜きん出ていることがデパートの最大のポテンシャルであることがわかってきました。その多様さを活かすため、紳士服、食品、宝飾品という従来のカテゴライズの方法以外の可能性をスタディし、デパートの非常に大きなボリュームの有効な使い方を模索したのです。

わかりやすく言うと、
「あいうえお順に並べてみた」
「黄色いものだけ集めてみた」

というような構想です。

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常識的なことを外れた新しさがあって、三越はおもしろがってくれました。

どこの地域にあるデパートも基本的には同じ構造を持っています。最大限確保できる床面積を確保するために、建ぺい率一杯の床を積層する構造であり、地域性を反映しているものは少ないわけです。

銀座三越も同様に、その特徴的な場所にもかかわらず、周囲と関係を持っていないかったため、周囲のコンテクストを読み直し、現在のデパートを変形させるようにハード面ソフト面での改装案を提案しました

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このように、思わぬ発見もたくさんあることが魅力です。

「頭であれこれ考えることもいいけど、とにかくやってみよう」ということなんです。計画して物事を進めることも大事ですが、途中で大きな環境変化などが起こりえるわけです。そういうときに求められる能力は、変化が起こっても恐れずに、そのなかで変化があたりまえだと思って変化に追随していく力だと思います。明日のために今日を犠牲にしない、その場を体感してやっていくことが、このコロナの時期を通してより一層大切だなと思うようになりました。

(Interview By 松浦光宏、須崎博紀)

編集後記by須崎:小林教授にインタビューをさせていただきました。「長期的に考えることと、とりあえずやってみることの両輪を回す」ことを、建築に近い分野で経験ができることは、実業分野で今とても重要なスキルになっていると言えます。私はサービス・ソフトウェア開発に携わってきましたが、業界によっては今年始めに立てた計画よりも、優先すべき課題が、技術変化によって、もたらされることをいくつも見てきました。そのたびに俊敏にソリューションを作れた企業のサービスが選ばれていくのです。経営計画が上手になるというだけでなく、俊敏に製品開発を投入することができる。ある意味で、時代に沿った製品マネジメントのデザインを学べる場となっているのではないでしょうか。例えば三越の40万点の商品が仮に80万点になる出材になったとします。銀座の一等地の在庫が2倍になると、商材の在庫回転率をかけて現在の商圏の2倍の顧客を相手に商売が可能となります。方法は、銀座に買いに来るだけでなく、EC化などでお届けするものがあってもよいと思いましたし、実利的にもなりうる提案だと思いました。計画を否定しているわけではなく、途中で敏速に変化に対応する力をつけていきたいものです。