Limbus Companyは課金圧が高いのか否かという話について

ソーシャルゲーム『Limbus Company』(以下リンバス)はProject Moon(以下プロムン)によって提供、運営されており、先日プロムン8周年を迎え、初のゲーム外コラボとして『アークナイツ』とのコラボが発表されたことで覚えめでたいタイトルである。これを期に再び新規参入の波が訪れ、管理人たちのコミュニティにも賑やかさをもたらしている。

そんな折、「リンバスは課金圧が高い」というコメントが注目を集めた。詳細は深掘りしないが、管理人諸氏からは否定的な反応が返った。実際のところ、課金圧が低いという特徴はリンバスの美点としてよく挙げられ、筆者も同様の感覚を持っている。しかしながら、「課金圧が低い」とは一体どういう特徴を指すのであろうか?

ソーシャルゲームという媒体において、課金というものは多かれ少なかれ要求される。しかし「課金圧」という単語が出てきた途端、具体的なコンテンツの形態や運営態度というものへの言及は漫然としてしまう。本文ではリンバスのその具体的な特徴というものについて、切り分けて整理しておくことにする。

その前に、一つ前提を確認しておかなければならない。リンバスは無課金、即ち一切の課金をせずとも遊べるゲームなのだろうか?

A. リンバスは課金の必要性が非常に高いゲームである

これは否定しようのない事実である。リンバスの課金コンテンツは主に二種類あり、一つが所謂「石」にあたる「狂気」であり、もう一つが「リンバスパス」である。現在はシステム上、どちらもリアルマネーで「有償狂気」を経由して購入することになっているが、前者が使ったら終わりのアイテムを購入するのに対し、後者は一度購入すれば一定期間恩恵にあずかれるサブスク式である。リンバスはこのうちリンバスパスが占める恩恵が非常に大きく、パスに課金することが強く推奨される。

リンバスパスの主な恩恵は、ミッション達成型の報酬システムである「バトルパス」の課金枠に設定されている報酬やE.G.Oを入手できる点、およびバトルパスのレベル120以降で入手できる報酬である「自我の破片ボックス」の入手量が3倍になる点である。特に後者は、育成素材であるほか、ガチャによらずに人格やE.G.Oを入手できる引換券でもある。リンバスパスも購入しない完全無課金プレイではこれを稼ぐ時間や手間が単純に3倍になることになる。これは非常に辛いプレイであることは明らかだろう。

よって、狂気にリアルマネーをいくら投入するか、プレイ時間をいくら費やすかにかかわらず、リンバスパスを購入しないことは、どの管理人に聞いても否定的な意見が返るだろう。そういう意味で、パスの購入費用は完全に最低条件といって差し支えなく、所謂初期投資に金がかかるタイプのゲームと言えるだろう。

しかし、それを差し引いてもリンバスは俗に「多々買わなければ生き残れない」などと揶揄されるソーシャルゲームと比べて課金の必要性は薄い、というよりは、かけた金に対して十分な満足感が得られるゲームであると言える。それは一体どのような特徴によるものなのだろうか?

A. リンバスは「限定ガチャ」の少ないゲームである

リンバスのガチャから排出される人格、E.G.Oには大きく分けて三つの区分が存在する。一つは時期にかかわらず実装直後からずっと入手可能な恒常区分、一つはシーズンごとにフィーチャーされ、翌シーズンでは自我の破片による交換入手が制限されるシーズン限定区分、最後にイベント「ヴァルプルギスの夜」期間限定で入手可能なヴァルプルギス限定区分である。一般的なソーシャルゲームにおいて、「限定ガチャ」と呼ばれるものに相当するのがヴァルプルギス限定区分となる。

ヴァルプルギスの夜イベントは現状3ヶ月ごとの開催であり、管理人としてはそこに合わせて狂気を貯める、あるいはそのタイミングで課金するといったプレイが主流だ。逆に言えばそのタイミング以外ではガチャを回さざるを得ない状況には陥りにくい。この「ガチャを回さざるを得ない状況」の少なさがリンバスは課金圧が低いと言われる要因の一つだ。

しかし、ヴァルプルギス限定区分以外でも強力な人格、E.G.Oが実装されれば、ガチャを回さざるを得なくなるのではないか? 俗に「人権」と呼ばれるようなユニットを確保しなければならないのではないか? という疑問がでてきうる。

A. リンバスの攻略は特定の人格、E.G.Oにはほとんど依存しない

リンバスのゲーム性はプロムンの前作『Library of Ruina』(以下図書館)に引き続き、敵のパッシブやバフをよく確認し、それに適したスキルをぶつけるといった趣になっている。しかしそのシステムもキャラの性能を活用するようなものではない。例えば、「敵の大技は一部のキャラが持つ〇〇スキルで防ぐが、このボスの大技は〇〇スキルを貫通するので、限定キャラの□□が持つより上位の△△スキルで防がなければならない」のような状況はリンバスでは(今のところ)無い。それでもファウストのE.G.O水袋のように、頭一つ抜けた利便性と汎用性を持ち合わせたスキルは存在するが、これすら限定ではなく、また攻略に必須とも言えるわけではない。

またソーシャルゲームでありながらソーシャル要素が薄いこともこの傾向に拍車をかけている。所謂PvPやランキング機能、それに応じた報酬システムはリンバスには存在せず、プレイヤー間の競争およびそれによって喚起されるガチャ需要もそれに伴って控えめになるのである。一応フレンド機能はあるが、その間で貸し借りできる人格やE.G.Oに対価は不要なため、極論見栄以外に外面を揃える必要性もない。

総じてソーシャルゲームというカテゴリーにはあるものの、プレイスタイルはほぼソロプレイとなりやすく、管理人個々人のリズムに合わせたプレイが可能なのである。それゆえに特定の人格、E.G.Oを実装すぐに入手するかははっきり言って好みの領分なのである。

しかしながら、いくら「急ぐ」ということが要求されなくとも限度はあるだろう。周回や育成の乗り遅れを金によって埋め合わせる必要はあるのではないだろうか?

A. リンバスはかけた金が無駄にならないゲームである

ソーシャルゲームには「石」によってスタミナを回復する「砕く」システムが存在し、それはリンバスでも同様だ。狂気を消費してスタミナである「エンケファリン」を補充し、周回に回すことができる。しかし、この周回にもリンバスは他のソーシャルゲームと大きく異なる点がある。それは「ドロップアイテムが固定」であるという点である。

ソーシャルゲームにおいてステージを周回する目的の多くは、「ステージ限定でドロップするキャラの入手」や「育成素材の収集」である。しかしそのどちらもが多くの場合ドロップは確率であり、同じようにスタミナを消費しても入手数にはばらつきがある他、限定キャラの場合数百周にも及ぶ周回を行う必要性もありうる。

リンバスの場合周回によって入手できるアイテムはおよそ三つ(経験値チケット、紐、自我の破片ボックス)のみであり、そのどれもが確率によらず一定数入手可能だ。それは即ち砕く石、ひいてはかける金に対するアイテムの入手量が明確に求まることと同義である。よって育成目標に応じた課金水準の設定も比較的容易になる。

ソーシャルゲームでは往々にして、これだけの課金をしたが目標の物が(ランダム性故に)手に入らなかったという状況、即ち金をドブに捨ててしまった体験が付き纏うが、リンバスではその要素はガチャを除けば無いと言っていい。そのためプレイに対して際限なくリアルマネーの投入が求められるという感覚になりにくいのである。

以上を総括すると、リンバスというゲームの課金システムは、リンバスパスへの課金の必要性は高いが、それ以外のコンテンツには必要性が高くなく、またスタミナに課金しても無駄になりにくいという特徴があるのである。運営にしてみれば「定期的に何千円か課金してほしいな、あっでも何十万円もかけなくていいからね」というスタンスであることが窺える。底は高めだが天井は低い、これがリンバスの課金を表すに適切なフレーズだろう。

Q. なぜ管理人たちは運営に、「もっと金稼げ」というのか?

最後にこのポイントについて考えておこう。運営が狂気やガチャチケットを配るたび、「そんなに配るな、富を求めろ」というような反応が散見される。この反応の多くはプロムンの過去作である図書館や『Lobotomy Corporation』(以下ロボトミ)時代から追っているファンによるものだ。筆者もその一人だが、ファンダム全体の感覚を推し量ることは難しいので、あくまで個人的な感覚として書き残しておく。

まず第一にリンバスのリリースによって、ユーザーはプロムンに売り上げを出させることが簡単に出来るようになったことだ。過去作のロボトミや図書館はDLCのアートブックやOSTを合わせて購入しても一万円足らずであり、それ以外では韓国に行ってハムハムパンパンで食事をとるくらいしかプロムンに金を落とすことができなかった。

実際にプロムン側の売り上げは単純計算でも「ゲーム価格×ユーザー数」にとどまり、特に初期は財政面で困窮し、プロジェクトを畳みかねなかった時期もあった。

そこにソーシャルゲームという形態のリンバスが発表されたことで、ユーザーにしてみれば定期的に金を落とす機会になるうえ、プロムン側も恒常的な資金稼ぎが可能になるという認識が発生したのである。そのため欠片交換システムや気前の良すぎる狂気の配布に対して、冗談半分に「石配り過ぎ」「もっと狂気を取れ」と言われるのである。

第二に、ゲームの演出や技術をプロムンは着実に発展させてきたことにある。プロムンはインディーゲームスタジオであるため、開発にかけられる資金は潤沢とは言えない点がある。これはユーザー側も十分理解していた部分である。

しかしながらプロムンは図書館、リンバスとコンテンツを経るに連れ、その演出やシステム面を刷新しつつある。Switch版図書館の日本語ボイス然り、過去の作品にもブラッシュアップが加わることに対して、「俺たちの課金でボイスが付いた」という反応も存在する。

もちろん金だけが全てではなく、技術的な問題やノウハウの側面もある。とはいえ、プロムンやそのファンコミュニティの発展に伴って、ゲーム表現を進化させてきたことは事実であり、ユーザーは自分たちが課金することによって、より良い物がお出しされるという確固たる期待を抱いていることも確かだ。そのため「〇〇をやりたいのでお金が必要です」というジフン氏の発言にも好意的な反応が返るのである。

というのが個人的な所感だ。しかし同意できる部分もあるかと思う。きっとこれからもより良いコンテンツは提供されていくであろうし、管理人たちの課金するモチベーションというものも引き続き保たれていくのだろうと思う。話題にはのぼりつつも発表のない『ねじれ探偵』ゲーム化の話や『Lobotomy Corporation 2』の話も筆者はとても楽しみにしているし、きっと実現されるだろうという確信を持っている。リンバスからプロムンに入ったよという管理人の皆様にも、是非プロムンの足取りを応援していただきたい。


いいなと思ったら応援しよう!