比較
人は比較によって成長するのか。
自分は自分らしく。君は君らしく。
そう言いつつも、結局何かと比較している。
目の前の敵と、隣の仲間と、昨日の自分と。
どれだけ、他人に視線を向けず、自分にベクトルを向けようとも
「比較」からは離れることはない。
他人と比べたりしなくていい。
綺麗ごとだ。
どれだけ自分らしさを極めたって、昨日の自分に勝って成長したって、客観的に見つめなおしたって、社会にでて、採用されるときは比べられる。
スポーツだってそうだ。比較されているのだ。
他人と比較され、優れたものが採られる。
この世から、綺麗ごとが消えたなら・・・
人はどう育て、どう育つのだろう。
幼いころから、ひたすらに現実を突きつけられる。
厳しいと思われていたことも、なりふり構わず、ドストレートに教えられる。
だってそれが現実だもの。
夢や希望のない、絶望の境地に達するのか。
超現実主義者の塊であふれるのだろうか。
逆に、現実を突きつけられることが、限界を超える引き金になるかもしれない。
世の中、何が正解かわからない。
ありったけの考え方という、答えをたくさん出して、いろんな世界を考えてみたい。
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