あなたの匂い、わたしの匂い
旅と鼻スイッチ
どこかを旅するとき、その土地土地の匂いというものがあると思う。温度や湿度もひっくるめ、それら空気を媒介として感じる「匂い」。はじめて見る景色、本場で食べる料理・・・。旅から帰って語られるのは概して視覚や味覚の記憶ばかりで、匂いは旅の思い出として重要視されていない気がする。鼻で、あるいは肌でしっかり感じているはずなのに意識されにくいのはなぜだろう。写真に記録できないからだろうか。
意識的に記憶にとどめられなくても、同じ場所を再び訪れてその土地の匂いをかいだ途端に前回の旅の思い出がぶわーーーーっと一気に思い出されたりもする。こういうスイッチは、視覚なんかよりむしろ嗅覚によるほうが入りやすいんじゃないかとも思う。
たとえば私の場合、日本に帰省したあとまたフランスに戻ってきてシャルルドゴール空港に降り立つとする。「フランスに戻ってきた!」という感じが一番する瞬間は、大量の香水の匂いとその香水をもってしても隠し切れなかった見知らぬ大勢のひとたちの体臭が、パリの乾いた空気の中に混じって漂ってくるのを嗅ぐときである。
香水大国といわれるにはわけがある
フランスは言わずもがな香水大国である。
フランス。香水。単語を並べるだけでそこはかとなく高級でエレガントな趣になるのはなんでだろう。文字が光っているようにさえ見える。フランスのフレグランスブランドのイメージ戦略すごい。
こちらではわりと若い子でも香水やオードトワレをつけている。赤ちゃん用のものすらある。長男の13歳の誕生日には香水を贈った。幸い気にいってくれて、毎朝嬉々として登校前につけていた。
消費量もヨーロッパでも群を抜いている。らしい。それもそのはず、習慣として根付いていることももちろんあるが、つける量が半端ない。
前の会社に勤めていたときは昼休みにコスメ店に行くことが時々あった。香水も多くあつかうチェーン店で、一度店員さんに「香水おつけ直ししておきますか?」と聞かれあまり何も考えず軽く「はいお願いします」と答えたことがある。そうか昼休みに香水をつけなおしたりする人もいるんだろうな、などとボーっと考えていると、ぷしゅー!ぷしゅー!ぷしゅー!ぷしゅーーー!!!!と予期せぬ大量の香水を吹きかけられわびさびの国から来た人間は大いにおののいた。これがフランス基準か!と。その後は同じ提案をうけてもお断りしている。
さらに、夏も冬も雨の日も毎日かかさず、正午ごろに我が家の前を通るおじさまがいる。同じウォーキングコースを歩いて30年らしい。長身で背筋がすっとのびていて、大股でさっそうと歩く姿を見ると紳士風なのに話すと妙にオネエになる人だ。しょっちゅう顔をあわせるたびに挨拶したり立ち話をする仲になり、いつのまにかビズ(両ほほをあわせて軽くチュッチュとする親しい間柄での挨拶)するようにもなった。「あなた今日もキレイねぇ~」といつも褒めてくれる。すっぴんでも褒めてくれる。いつ会っても明るく楽しいおじさまなのだがひとつ問題がある。彼とビズしたあとは頬についた彼の香水が一日とれないことである!どんだけ香水ふりかけてんだ!!!ちなみにおじさまと立ち話するようになって10年近くたつが彼の名前はいまだ知らない。
ファッションじゃない。アイデンティティだ。
ぴかぴか輝く香水。高級感あふれるパッケージとボトル。しかしボトルの中身がひとたび人の肌につけられたなら、それはその人の匂いとなる。つるつるで冷たい瓶の中でツンとすましてした香りは、37度の肌に温められ、体臭とまじわってとたんに人間味を帯びる。そして世界に一つしかない自分の匂いとなる。ひとつ自分のお気に入りの香りに出会ったら、ほかの香水に浮気することはあまりない。複数の香水を使うとしても基本的に使う一本があって、ほかの香水は何か特別な機会とか気分を変えたいときに使う程度だと思う。だからフランス人はファッションとして香水を楽しんでいるんじゃないと感じる。日々、自分の匂いをまとっているのだ。もはや香りもアイデンティティのひとつ!それは女性だって男性だって変わらない。
日本にいたころは人の匂いなんて気にならなかった。香水をつけている人は一部のおしゃれな人に限られたし、親しい友だちを今思い浮かべても匂いが思い浮かんだりは特別しない。それぞれの容姿、声、笑い方・・・。人を認識するのにいろんな要素があると思うけれど、フランスではそこに匂いが加わる。
以前勤めていたところは社員が20人強のこじんまりした会社だった。みんながみんなをよく知る環境で、そうなると声を聞いて誰が話しているのかすぐわかるように、場所に残った匂いで直前までその場に誰がいたのかわかるようにもなる。トイレの個室に入って誰かの残り香の中その人の気配に包まれて用を足すということも一度や二度ではなかった。けっこう微妙な気分になる。
わたしの匂いはわたしのもの
香りは人のアイデンティティを構成する立派な要素なので、ひとと香水がかぶるのは良しとされない。同じく前の会社で同僚のEと話していたときのこと、急に彼女が話をさえぎり「えっ、ちょっと待って!香水変えた?何?もしかして私のと同じじゃない?」とクンクン私の匂いを嗅ぎはじめた。香水は私がいつも使っているものだった。ただ違ったのは、普段は夜おふろあがりに2プッシュほど軽くつけるところ、その日はどういう風の吹き回しだったのか朝出社前にもつけなおしたのだ。お互いの香水を言い合ってみると、実際それは同じものだった。一緒に働いてすでに1年は経っていたと思うが、同じ香水を使っていることにどちらも気が付かなかったのだ。そこからは二人で、「あんた香水変えなよ!」「あんたが変えなよ!」と言い合うこととなった(注・仲良しです)。そんなことがあったのち、彼女が間違えていつものものとは違う香水を買ってしまったことがある。同じブランドで見た目も名前もよく似たものがあって、急いでいたものあってそちらを手に取ってしまったのだ。彼女が出費をくやしがりながら「私の香水、間違っちゃって買っちゃってさ!」と話すので「あぁ、私の香水ね~」と私が言うと、負けじと彼女も「わ・た・し・の・香水!」と言う。後日、まちがって買った香水だったけど結構いい感じだとEが言うので、「じゃあもうそっちに乗り換えちゃいなよ」と私が言うと「やだ!」とやはりもとの彼女の香水に戻ってくるのだった。
コロナのせいで匂いが消えた
匂いを放つというのは、ずいぶん動物的なことだと思う。相手の生身が、遠慮なくこちらの感覚にせまってくるのだから。急に距離が近くなる。日本では清潔感のある香りが好まれると聞く。石鹸の香りとか。このあたりにも日本人の相手をおもんぱかる感じが見てとれる。つまりは自分がその香りが好きかどうかよりも、相手にどういう印象を与えるかのほうを優先しているということだと思う。ま、純粋に石鹸の香りが好きという人もいるんだろうけども。対人距離が世界で一番遠いのは日本だという調査もあるらしいけれど、ほのかな香りが好まれることと何か関係があるだろうか。
ところが今。私たちはみんなマスクをつけている。ソーシャルディスタンスを守っている。さらにはたいていの企業がテレワーク中だ。
匂いが消えた、と感じている。
みんなに会うことができない。会ってもマスクをしているし離れているし匂いもよくわからない。握手も禁止されているし、ビズなんかもってのほか。すべてがきれいに消毒されて、ものに触れないことに気を付けながら生活して、無味無臭になってしまった。物理的な距離以上の距離を感じてしまう。
どうか早く、フランスらしい匂いに満ちたフランスが戻ってきますようにと今はただ願っている。